奈良時代に行基が藤原景隆に勧めて賀茂別雷神を奉斎、古い棟札
西鴨神社(香川県坂出市加茂町540)
[住所]香川県坂出市加茂町540
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西鴨神社(にしかもじんじゃ)は、香川県坂出市加茂町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 阿野郡「鴨神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

鴨庄地域からは南西の外れた地に鎮座する。創祀以来鴨・氏部2郷の総鎮守であったと伝え、「鴨の大守」と俗称された。御祭神は別雷命。

行基が聖武天皇の勅を奉じ、国分寺、甲智寺、法華寺の建立ため、当地に来訪した際、当時この地に雷雨や洪水が頻発していたため、国司藤原景隆に勧めて賀茂別雷神を奉斎したという。

時に奈良時代の天平4年(732年)8月25日のことと伝わる。

式内社「鴨神社」は、『日本三代実録』貞観7年(865年)10月9日の条に、賀茂神として従五位下から従五位上に、貞観17年(875年)5月27日の条に、賀茂天神として正五位下に進んでいる。

『三代物語』『全讃史』などでは当社を式内社としているという。

後に社殿が荒廃していたが、長暦年間(1037年-1040年)に社家の入江民部景輝が京都に奏し、再興したという。当社には実際に長暦の文字と景輝の字が確認できる棟札が残っている。

その後の推移は不明で、戦国時代には戦火で焼失したと伝えられ、天正12年(1584年)に仮殿一社が再興された。

この棟札には「加茂三所大明神」とあり「往古者三社各別有之所」と記されている。その後、江戸時代に社殿の造営と修築が行われた。神事に五度祭がある。

なお、「鴨神社」の論社は他に、東鴨神社がある。ただし、論社というよりは、京都の上賀茂神社(賀茂別雷神社)・下鴨神社(賀茂御祖神社)のように対となった神社で、双方一括りで式内社という可能性もある。

その場合、御祭神から考えて、当社は賀茂別雷神社に相当することになる。


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西鴨神社(坂出市) - 奈良時代に行基が藤原景隆に勧めて賀茂別雷神を奉斎、古い棟札
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