平安時代に空海の叔父が葛城高鴨神を勧請、鴨庄氏神の式内社
[住所]香川県坂出市加茂町992
[電話]-
東鴨神社(ひがしかもじんじゃ)は、香川県坂出市加茂町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 阿野郡「鴨神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
社蔵の『葛城大明神記』によれば、平安時代の弘仁年間(810年-824年)、弘法大師空海の伯父である阿刀大足が京都賀茂社に請い、大和葛城の高鴨神を勧請し、鴨庄の氏神としたという。
鴨庄地域の東に立つ山の裾に鎮座する。御祭神は、一言主命・玉依姫命。
式内社「鴨神社」は、『日本三代実録』貞観7年(865年)10月9日の条に、賀茂神として従五位下から従五位上に、貞観17年(875年)5月27日の条に、賀茂天神として正五位下に進んでいる。
戦国時代の天文21年(1552年)に鳥居が建立され、弘治3年(1557年)、本殿柱替が行われた。
往古は大明神原に鎮座していたが、天正年間(1573年-1591年)に長宗我部氏の兵火に罹り、社殿が焼失したのを機に、現在地に遷宮した。
江戸時代になり、寛永14年(1637年)には玉殿が改築され、元文2年(1737年)、明和3年(1765年)、 天明8年(1788年)には御屋根替が行われている。
江戸時代には「葛城大明神」「葛城の社」「鴨庄大明神」などと呼ばれた。明治初年に村社に列し、鴨葛城神社と称し、後に鴨神社とした。
現在の本殿は、江戸時代後期の文化元年(1804年)に、拝殿は明治36年(1903年)9月に改築されたもので、昭和63年(1988年)に修復工事が竣工した。
なお、「鴨神社」の論社は他に、西鴨神社がある。ただし、論社というよりは、京都の上賀茂神社(賀茂別雷神社)・下鴨神社(賀茂御祖神社)のように対となった神社で、双方一括りで式内社という可能性もある。
その場合、御祭神から考えて、当社は賀茂御祖神社に相当することになる。
【ご利益】
地域振興、地域安全、五穀豊穣、安産、諸願成就
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東鴨神社(ひがしかもじんじゃ)は、香川県坂出市加茂町にある神社。御朱印の有無は不明。
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社蔵の『葛城大明神記』によれば、平安時代の弘仁年間(810年-824年)、弘法大師空海の伯父である阿刀大足が京都賀茂社に請い、大和葛城の高鴨神を勧請し、鴨庄の氏神としたという。
鴨庄地域の東に立つ山の裾に鎮座する。御祭神は、一言主命・玉依姫命。
式内社「鴨神社」は、『日本三代実録』貞観7年(865年)10月9日の条に、賀茂神として従五位下から従五位上に、貞観17年(875年)5月27日の条に、賀茂天神として正五位下に進んでいる。
戦国時代の天文21年(1552年)に鳥居が建立され、弘治3年(1557年)、本殿柱替が行われた。
往古は大明神原に鎮座していたが、天正年間(1573年-1591年)に長宗我部氏の兵火に罹り、社殿が焼失したのを機に、現在地に遷宮した。
江戸時代になり、寛永14年(1637年)には玉殿が改築され、元文2年(1737年)、明和3年(1765年)、 天明8年(1788年)には御屋根替が行われている。
江戸時代には「葛城大明神」「葛城の社」「鴨庄大明神」などと呼ばれた。明治初年に村社に列し、鴨葛城神社と称し、後に鴨神社とした。
現在の本殿は、江戸時代後期の文化元年(1804年)に、拝殿は明治36年(1903年)9月に改築されたもので、昭和63年(1988年)に修復工事が竣工した。
なお、「鴨神社」の論社は他に、西鴨神社がある。ただし、論社というよりは、京都の上賀茂神社(賀茂別雷神社)・下鴨神社(賀茂御祖神社)のように対となった神社で、双方一括りで式内社という可能性もある。
その場合、御祭神から考えて、当社は賀茂御祖神社に相当することになる。
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地域振興、地域安全、五穀豊穣、安産、諸願成就
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