1年に1度橋が開放される小島に浮かぶ社、子供の守り神の信仰
[住所]香川県三豊市三野町大見甲6816-2
[電話]0875-72-5463
津嶋神社(つしまじんじゃ)は、香川県三豊市の北部に浮かぶ津島にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
本殿は、かつては鼠島とも呼ばれた津島に建てられており、橋で結ばれた海岸沿いには本殿以外の祈祷殿や参集殿、社務所などが松林の中に建てられている。
島と対岸を結ぶ長さ250メートルの津島橋は夏季大祭の毎年8月4日・5日の2日間の期間中の前後以外は通行禁止として、入り口が封鎖され、橋桁に敷き詰められる板も外される。
「つしま橋」「しあわせ橋」とも呼ばれ、通行料金は大人300円・小人100円。この橋は昭和8年(1933年)に当時の大見村長だった倉田彌治郎が発起人となり架橋されたものである。
戦国時代の文禄年間(1593年-1596年)、この浦に女の歌う声が聞こえ、その声を村の人は怪しみ、訪ねたが何も見つからなかった。巫女に託すと、下記の神託があったという。
江戸時代中期の宝永3年(1706年)に本殿が造営されたと伝えられている。御祭神は素戔嗚命である。
別名は牛頭天王で、ある年、牛馬の病気が大流行し、大見村でも200頭以上の牛馬が死んだものの、当地では1頭の牛馬も病気にならなかったことがあった。
牛馬の疫病を封じたこれより、家族と一緒に牛を連れて多くの参拝者が訪れるようになり、無病息災を祈願した当社の赤いのぼりが、農家の牛小屋の出入り口に掲げられた。
近年は農作業の機械化に伴い、牛の飼育農家も減り、赤いのぼりを立てた風景は姿を消したが、のぼりを模した御守りは今でも人気となっている。
昭和27年(1952年)、津島神社から現社号に改められた。
海岸部分は潮干狩りができる遠浅の海岸で、浮世絵師2代目歌川広重が諸国名所百景「讃岐久保谷のはま」として描いた。
また、「新さぬき百景」「四国のみずべ八十八カ所」(第73番)の一つに数えられるように、本殿の後景には瀬戸内海の島々が広がる景勝地でもある。
平成27年(2015年)5月10日には、最寄りの臨時駅である津島ノ宮駅開業100周年を記念して、通常は夏季大祭時のみとなっている津島橋が通行可能とされた。
8月4日・5日の夏季大祭では、祈祷の他、奉納花火や獅子舞の奉納、夜市などが出る。
毎年この2日間は、子供と手をつなぎながら、あるいはベビーカーを押しながら、子供の健康と健やかな成長を願い、本殿へとやってくる約10万人の参拝者で賑わう。
なお、御守、御朱印の授受などは、下記大祭期間中ではなくても行っており、遥拝所や、御守などであればインターネットからでも購入できる。
【ご利益】
子供の守り神、牛馬の守護神、無病息災・厄災除け(公式HP)

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[電話]0875-72-5463
津嶋神社(つしまじんじゃ)は、香川県三豊市の北部に浮かぶ津島にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
本殿は、かつては鼠島とも呼ばれた津島に建てられており、橋で結ばれた海岸沿いには本殿以外の祈祷殿や参集殿、社務所などが松林の中に建てられている。
島と対岸を結ぶ長さ250メートルの津島橋は夏季大祭の毎年8月4日・5日の2日間の期間中の前後以外は通行禁止として、入り口が封鎖され、橋桁に敷き詰められる板も外される。
「つしま橋」「しあわせ橋」とも呼ばれ、通行料金は大人300円・小人100円。この橋は昭和8年(1933年)に当時の大見村長だった倉田彌治郎が発起人となり架橋されたものである。
戦国時代の文禄年間(1593年-1596年)、この浦に女の歌う声が聞こえ、その声を村の人は怪しみ、訪ねたが何も見つからなかった。巫女に託すと、下記の神託があったという。
我は海中に住む神。名は津嶋神という。今よりこの島に祭るべし。祠など造る必要は無い。何よりまず、木を植えるべし。それが我神体なり。さすれば、村の子供、牛馬を病から守るなり村の人たちは早速、鳥居をたてて島に祀り、以降旧暦6月24、25日の両日に祭典を執行。これが現在の下記大祭の原点となる。昭和になり、現行日となった。
江戸時代中期の宝永3年(1706年)に本殿が造営されたと伝えられている。御祭神は素戔嗚命である。
別名は牛頭天王で、ある年、牛馬の病気が大流行し、大見村でも200頭以上の牛馬が死んだものの、当地では1頭の牛馬も病気にならなかったことがあった。
牛馬の疫病を封じたこれより、家族と一緒に牛を連れて多くの参拝者が訪れるようになり、無病息災を祈願した当社の赤いのぼりが、農家の牛小屋の出入り口に掲げられた。
近年は農作業の機械化に伴い、牛の飼育農家も減り、赤いのぼりを立てた風景は姿を消したが、のぼりを模した御守りは今でも人気となっている。
昭和27年(1952年)、津島神社から現社号に改められた。
海岸部分は潮干狩りができる遠浅の海岸で、浮世絵師2代目歌川広重が諸国名所百景「讃岐久保谷のはま」として描いた。
また、「新さぬき百景」「四国のみずべ八十八カ所」(第73番)の一つに数えられるように、本殿の後景には瀬戸内海の島々が広がる景勝地でもある。
平成27年(2015年)5月10日には、最寄りの臨時駅である津島ノ宮駅開業100周年を記念して、通常は夏季大祭時のみとなっている津島橋が通行可能とされた。
8月4日・5日の夏季大祭では、祈祷の他、奉納花火や獅子舞の奉納、夜市などが出る。
毎年この2日間は、子供と手をつなぎながら、あるいはベビーカーを押しながら、子供の健康と健やかな成長を願い、本殿へとやってくる約10万人の参拝者で賑わう。
なお、御守、御朱印の授受などは、下記大祭期間中ではなくても行っており、遥拝所や、御守などであればインターネットからでも購入できる。
【ご利益】
子供の守り神、牛馬の守護神、無病息災・厄災除け(公式HP)

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