平安期に京石清水を勧請した一郡一八幡の始め、9月に秋季例祭
[住所]香川県さぬき市寒川町神前寺尾3967
[電話]0879-43-5908
男山神社(おとこやまじんじゃ)は、香川県さぬき市寒川町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 寒川郡「神前神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
平安時代の延喜7年(904年)4月28日の創祀と伝わる。当社の御神木はこの時以来の、霊験あらたかな枯木。
醍醐天皇の時代で、当郡内で男山相応の地に八幡宮を勧請せよとの勅を受け、本寺宝蔵院住職明印法印詔を奉じて勧請した、一郡一八幡の始めだという。
石清水八幡宮を勧請した。山の形は東西に長く、前に大川があり、8月の祭礼にはこの川で放生会が執り行われていた。
御祭神は、誉田別命・足仲彦命・息長足姫命。
永承4年(1049年)に仏舎利の勅納があり、鎌倉時代の弘安4年(1281年)6月に宝蔵院住職正範は勅を奉じて本地供を修し、同年9月に官陟を賜った。
南北朝時代の貞和年間(1345年-1350年)、兵火に罹り、後世になって氏子により再建された。現在の拝殿は江戸時代初期の寛永2年(1625年)に再興されたもの。
もともと神前八幡宮と呼ばれていたが、明治初年に現社号に改称。村社に列し、明治40年(1907年)10月24日に神饌幣帛料供進神社に指定された。
例祭は9月第4日曜日で秋季例大祭。雅楽の演奏、獅子舞の途中で突如出現する赤い衣装をまとった猩々、歌舞伎の化粧をした練り物などが出る。
境内社に、八坂神社(八嶋士奴美神・須佐之男命・稻田姫命)・金毘羅神社(大物主神)がある。
式内社「神前神社」の論社は他に、当社の兼務神社である春日神社や、当社の境外末社だった神前神社がある。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、地域振興、家内安全、安産

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・香川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、香川県に鎮座している神社の一覧
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男山神社(おとこやまじんじゃ)は、香川県さぬき市寒川町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 寒川郡「神前神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
平安時代の延喜7年(904年)4月28日の創祀と伝わる。当社の御神木はこの時以来の、霊験あらたかな枯木。
醍醐天皇の時代で、当郡内で男山相応の地に八幡宮を勧請せよとの勅を受け、本寺宝蔵院住職明印法印詔を奉じて勧請した、一郡一八幡の始めだという。
石清水八幡宮を勧請した。山の形は東西に長く、前に大川があり、8月の祭礼にはこの川で放生会が執り行われていた。
御祭神は、誉田別命・足仲彦命・息長足姫命。
永承4年(1049年)に仏舎利の勅納があり、鎌倉時代の弘安4年(1281年)6月に宝蔵院住職正範は勅を奉じて本地供を修し、同年9月に官陟を賜った。
南北朝時代の貞和年間(1345年-1350年)、兵火に罹り、後世になって氏子により再建された。現在の拝殿は江戸時代初期の寛永2年(1625年)に再興されたもの。
もともと神前八幡宮と呼ばれていたが、明治初年に現社号に改称。村社に列し、明治40年(1907年)10月24日に神饌幣帛料供進神社に指定された。
例祭は9月第4日曜日で秋季例大祭。雅楽の演奏、獅子舞の途中で突如出現する赤い衣装をまとった猩々、歌舞伎の化粧をした練り物などが出る。
境内社に、八坂神社(八嶋士奴美神・須佐之男命・稻田姫命)・金毘羅神社(大物主神)がある。
式内社「神前神社」の論社は他に、当社の兼務神社である春日神社や、当社の境外末社だった神前神社がある。
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