御神室山と流岡、大己貴命・少彦名命が四国を経営した地、四国最古の社
[住所]香川県観音寺市流岡町820-1
[電話]0875-25-0034

加麻良神社(かまらじんじゃ)は、香川県観音寺市流岡町にある神社。観音寺駅の北東約2キロほどの流岡、財田川の側にある丸山の上に鎮座する。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 刈田郡「加麻良神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

この山は往古、御神室山と呼ばれ、大己貴命少彦名命が四国を経営していた時に滞在したとされる霊跡とされる。そのため、四国最古の神社とも。

また昔、三野郡の大水上神社に少彦名命が来て、夜ごとに泣き叫んだ。大水上神は木桝に命を乗せて川に流すと、丸山の中腹に着き、命は泣き止んだ。

土地の人が命をその地に祀ったという。流岡の地名はこのことに、加麻良は神室に由来するという。

この伝承は、大和国三輪山の故事との類似性を求める意見もあるが、大水上神社の千五百皇子社にも似た伝承があるという。

当社はこの桝を御神体とし、丸亀藩主京極家が奉納したという金桝を伝えている。平安時代の貞観6年(864年)に従五位下に進んだ。

戦国時代の元亀年間(1570年-1573年)・天正年間(1573年-1593年)に、長宗我部元親による戦乱で焼失。

九十九の城主細川信行は、長宗我部元親に滅亡させられ、その老臣である横山源左エ門正祐が流岡にたどり着いた。

その際、当社を再建し、また、立専寺を創立して、同時に遁世、慶長元年(1596年)に病没したともいう。

江戸時代になり、寛文8年(1688年)に再建される。江戸時代には、丸山大明神・五所権現と称していた。

明治5年(1872年)に郷社に列し、明治40年(1907年)に神饌幣帛料供進神社に指定された。例祭は10月15日・16日。

境内社に、地神社・厳島宮・天満宮・船霊大明神・稲荷神社・牛頭天皇社・瀧宮・荒神社などがある。

なお、式内社「加麻良神社」の論社は他に、市内植田町の加茂神社がある。

【ご利益】
夜泣き、方除け、病気平癒、産業振興、交通安全、縁結び
加麻良神社 - 御神室山と流岡、大己貴命・少彦名命が四国を経営した地、四国最古の社
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