継体朝の創祀、土師祖神を祀り菅原道真も神像を奉納、八幡宮とも
[住所]香川県丸亀市郡家町2339-1
[電話]0877-28-6395

神野神社(かんのじんじゃ)は、香川県丸亀市郡家町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 那珂郡「神野神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

道をはさんで東側に皇子神社があり、当社を含め、両宮と呼ばれる。この地は郡衙があったところで、地名の郡家もこれに由来する。

第26代継体天皇2年の鎮座という。伊予国神野郡の人である久留島(和気氏の一族)が当地に移住し、その祖神である伊曽乃神社を勧請した。

「我は土師の祖神で、この地に鎮り居ること多年、神殿が破壊されたので汝よく修営すべし、国家永久五穀豊穣となり」との神託があり、天穂日命が奉斎された。

伊曽乃神社は土師氏や天穗日命とのつながりは強くなく、伊曽乃神社をそのまま勧請したというよりも、伊曽乃神社の崇敬者が新たな神託に基づいて創祀した、ということか。

第33代推古天皇5年に宇佐八幡宮から八幡神(品田和気命息気長足姫命中日売命)を相殿に勧請した。このため、長らく八幡宮、正八幡宮と称されることになった。

平安時代の仁和3年(887年)、菅原道真が国守在任の時、自身も土師氏で、天穗日命が奉斎されていることに感銘し、神像を刻して納奉したと伝わる。

南北朝時代の貞和3年(1347年)、細川頼春が社殿を再営した。戦国時代の天文10年(1541年)にも造営されるが、天正7年(1579年)、兵火により焼失。

宝物・神殿はすべて焼失したが、御神体は自ら去って、当社の東方6丁あまりに鎮座したという。そのため、今八幡と呼ばれた。

天正17年(1589年)、旧跡である現在地に神殿を再営し、同年8月14日に遷座した。

江戸時代になり、高松藩祖松平頼重に厚く崇敬され、正保元年(1644年)に社地が寄進された。江戸時代は神野八幡宮と称していた。

その後も頻繁に社殿の造営が行われ、寛文10年(1670年)、天和3年(1683年)、元禄4年(1691年)、正徳3年(1713年)、享保14年(1729年)、宝暦6年(1756年)、寛政8年(1796年)、文政4年(1821年)、弘化3年(1846年)、万延元年(1860年)と江戸時代を通じての記録がある。

最近では明治23年(1890年)、大正12年(1923年)に社殿を改修、昭和5年(1930年)には幣殿・拝殿を改築した。

現在は、武内宿禰・中臣烏賊津臣命・須佐之男命猿田彦命武甕槌神軻遇突智命経津主命大国主命を配祀、あるいは合祀する。

例祭は10月9日。湯立神楽が行なわれる。

境内社に、倉稲神社・粟嶋神社・皇子神社・八代荒神社・中荒神社・荒魂神社・野津古荒神社・福神社・荒神社・荒神社・不動神社・八幡神社・貴船神社・四十三荒神社・星神社がある。

なお、式内社「神野神社」の論社は他に、仲多度郡まんのう町に同名の神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、一族・子孫繁栄、家内安全、厄災除け、安産
神野神社(丸亀市) - 継体朝の創祀、土師祖神を祀り菅原道真も神像を奉納、八幡宮とも
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