讃岐国造の祖が創祀、後に満濃池の守護神、戦国初期の鳥居
[住所]香川県仲多度郡まんのう町神野168-2
[電話]-
神野神社(かんのじんじゃ)は、香川県仲多度郡まんのう町神野にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 那珂郡「神野神社」に比定される式内社(小社)の論社。
第12代景行天皇の時代、その皇子で讃岐国造の祖であり、四国沖で悪魚を退治したとされる神櫛王が創祀したと伝わる。
この地はもともと真名井と呼ばれ、罔象女命が祀られていたが、神櫛王がその地で狩りをした際に天穂日命も奉斎したという。
神櫛王に関しては、坂出市の城山神社にも伝承が残る。
奈良時代直前の大宝年間(701年-704年)、満濃池が創築されると、この池の堤上に遷座し、池の守護神としても奉斎された。池の宮とも呼ばれた。
奈良時代の天宝宝字8年(764年)、社殿が造営された。
平安時代の大同年間(806年-810年)ごろ、当地は神野郷から真野郷に改められ、満濃池の名称も定着したと考えられている。
大同3年(808年)、満濃池が破壊した際、当社も再建されたが、当社北方に鎮座していた加茂大明神(別雷命)も社殿が損壊したため、これを合祀した。
弘仁年間(810年-824年)、嵯峨天皇を奉斎。元慶5年(881年)11月14日には従五位下に進んだ。
鎌倉時代初期の正治元年(1199年)2月12日、矢原庄司義宗によって再建される。
戦国時代初期、応仁年間(1467年-1469年)の戦乱により、次第に衰微した。
文明2年(1470年)に社前の石造鳥居が建造される。この鳥居は現存し、町内最古の鳥居となっている。
江戸時代になると、寛永5年(1628年)、万治2年(1659年)、宝暦4年(1754年)、文化元年(1804年)、文政3年(1820年)に社殿の造営の記録が残る。
明治3年(1870年)6月に再築。昭和28年(1953年)には満濃池拡張大工事によって現在地に遷座した。
現在は、大山祇神を合祀する。例祭は10月9日・10日で、秋季大祭。
境内社に、松崎神社・神櫛神社などがある。
なお、式内社「神野神社」の論社は他に、丸亀市郡家町に同名の神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、一族・子孫繁栄、家内安全
【関連記事】
・香川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、香川県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
神野神社(かんのじんじゃ)は、香川県仲多度郡まんのう町神野にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 那珂郡「神野神社」に比定される式内社(小社)の論社。
第12代景行天皇の時代、その皇子で讃岐国造の祖であり、四国沖で悪魚を退治したとされる神櫛王が創祀したと伝わる。
この地はもともと真名井と呼ばれ、罔象女命が祀られていたが、神櫛王がその地で狩りをした際に天穂日命も奉斎したという。
神櫛王に関しては、坂出市の城山神社にも伝承が残る。
奈良時代直前の大宝年間(701年-704年)、満濃池が創築されると、この池の堤上に遷座し、池の守護神としても奉斎された。池の宮とも呼ばれた。
奈良時代の天宝宝字8年(764年)、社殿が造営された。
平安時代の大同年間(806年-810年)ごろ、当地は神野郷から真野郷に改められ、満濃池の名称も定着したと考えられている。
大同3年(808年)、満濃池が破壊した際、当社も再建されたが、当社北方に鎮座していた加茂大明神(別雷命)も社殿が損壊したため、これを合祀した。
弘仁年間(810年-824年)、嵯峨天皇を奉斎。元慶5年(881年)11月14日には従五位下に進んだ。
鎌倉時代初期の正治元年(1199年)2月12日、矢原庄司義宗によって再建される。
戦国時代初期、応仁年間(1467年-1469年)の戦乱により、次第に衰微した。
文明2年(1470年)に社前の石造鳥居が建造される。この鳥居は現存し、町内最古の鳥居となっている。
江戸時代になると、寛永5年(1628年)、万治2年(1659年)、宝暦4年(1754年)、文化元年(1804年)、文政3年(1820年)に社殿の造営の記録が残る。
明治3年(1870年)6月に再築。昭和28年(1953年)には満濃池拡張大工事によって現在地に遷座した。
現在は、大山祇神を合祀する。例祭は10月9日・10日で、秋季大祭。
境内社に、松崎神社・神櫛神社などがある。
なお、式内社「神野神社」の論社は他に、丸亀市郡家町に同名の神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、一族・子孫繁栄、家内安全
【関連記事】
・香川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、香川県に鎮座している神社の一覧
コメント