弘法大師による創建とも、当地の開拓神を祀り、豊作祈願した讃岐式内社
[住所]香川県さぬき市鴨部6449
[電話]-
志太張神社(したばりじんじゃ)は、香川県さぬき市鴨部にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 寒川郡「志太張神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
平安時代の天長元年(824年)4月、弘法大師が、石田の極楽寺を鴨部に移し、「下張神」を鎮守としたという。これが創建とされる。
下張や、当社名は、「下墾」の意味で、当地の開拓神を祀ったものと考えられる。
御祭神は、天下春命であり、思兼命の御子神で、武蔵秩父国造などの祖。四国・讃岐とゆかりの多い神ではない。
御祭神名の「春」も、地名・当社名の「張」に通じ、垂(はり)または治 (はり)の意味だという。
土地を拓く、土地の開墾して農業を営んだ人々が、拓いた田の豊作を願い、感謝したと考えられる。
天慶8年(884年)、平安時代末期の治承2年(1178年)、鎌倉時代末期の応長元年(1311年)の造営の記録が残る。
また、永承4年(1049年)6月には佛舎利が下賜されたという。
江戸時代には、志太張大明神あるいは志多張神社と称した。別当は宝藏院末寺の西光寺とも。
明治4年(1871年)に村社に列し、明治40年(1907年)10月24日に神饌幣帛料供進社に指定された。
明治末年の社殿改築の際、本殿床下から、江戸時代中期の正徳2年(1712年)9月銘の妙法蓮華経の入った経筒が出てきたという。
昭和5年(1930年)1月31日に現社号に改称した。例祭は10月第2日曜日。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、地域振興、地域安全
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・香川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、香川県に鎮座している神社の一覧
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『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 寒川郡「志太張神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
平安時代の天長元年(824年)4月、弘法大師が、石田の極楽寺を鴨部に移し、「下張神」を鎮守としたという。これが創建とされる。
下張や、当社名は、「下墾」の意味で、当地の開拓神を祀ったものと考えられる。
御祭神は、天下春命であり、思兼命の御子神で、武蔵秩父国造などの祖。四国・讃岐とゆかりの多い神ではない。
御祭神名の「春」も、地名・当社名の「張」に通じ、垂(はり)または治 (はり)の意味だという。
土地を拓く、土地の開墾して農業を営んだ人々が、拓いた田の豊作を願い、感謝したと考えられる。
天慶8年(884年)、平安時代末期の治承2年(1178年)、鎌倉時代末期の応長元年(1311年)の造営の記録が残る。
また、永承4年(1049年)6月には佛舎利が下賜されたという。
江戸時代には、志太張大明神あるいは志多張神社と称した。別当は宝藏院末寺の西光寺とも。
明治4年(1871年)に村社に列し、明治40年(1907年)10月24日に神饌幣帛料供進社に指定された。
明治末年の社殿改築の際、本殿床下から、江戸時代中期の正徳2年(1712年)9月銘の妙法蓮華経の入った経筒が出てきたという。
昭和5年(1930年)1月31日に現社号に改称した。例祭は10月第2日曜日。
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