讃岐配流となった崇徳天皇が「京の東山に似ている」とした地
[住所]香川県坂出市川津町東山1
[電話]-
天皇神社(てんのうじんじゃ)は、香川県坂出市川津町東山にある神社。崇徳天皇神社とも。御朱印の有無は不明。
平安時代末期の保元元年(1156年)、保元の乱によって讃岐配流となった崇徳天皇(退位後は讃岐院・崇徳上皇)は長寛2年(1164年)8月26日に崩御。
天皇は生前、しばしば川津郷の荘園領主広浜紀伊守の館に御幸し、当地が京の東山に似ているとして、配流の寂しさを慰めたと伝わる。
崩御から間もなくの仁安2年(1167年)、紀伊守と里人らは相談し、北条郷青海村の天皇社から御分霊を勧請して、社殿を造営した。
これが当社の創祀。北条郷青海村の天皇社は、現在の青海町に鎮座する青海神社か。
かつては東川津・西川津をはじめ広く近郷近在に及び、その数2200人あまりの多きを数え、例祭には、大神楽を奉納するなど大いに殷賑を極めたと伝わる。
もとはすぐ近くに鎮座する郷社春日神社の境外末社。現在は独立の宗教法人。
境内には、国蔵寺荒神などがある。
なお、崇徳天皇に関連する神社として、先の青海神社の他、高家神社・鼓岡神社・白峰宮などがある。
【ご利益】
諸願成就

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・香川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、香川県に鎮座している神社の一覧
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天皇神社(てんのうじんじゃ)は、香川県坂出市川津町東山にある神社。崇徳天皇神社とも。御朱印の有無は不明。
平安時代末期の保元元年(1156年)、保元の乱によって讃岐配流となった崇徳天皇(退位後は讃岐院・崇徳上皇)は長寛2年(1164年)8月26日に崩御。
天皇は生前、しばしば川津郷の荘園領主広浜紀伊守の館に御幸し、当地が京の東山に似ているとして、配流の寂しさを慰めたと伝わる。
崩御から間もなくの仁安2年(1167年)、紀伊守と里人らは相談し、北条郷青海村の天皇社から御分霊を勧請して、社殿を造営した。
これが当社の創祀。北条郷青海村の天皇社は、現在の青海町に鎮座する青海神社か。
かつては東川津・西川津をはじめ広く近郷近在に及び、その数2200人あまりの多きを数え、例祭には、大神楽を奉納するなど大いに殷賑を極めたと伝わる。
もとはすぐ近くに鎮座する郷社春日神社の境外末社。現在は独立の宗教法人。
境内には、国蔵寺荒神などがある。
なお、崇徳天皇に関連する神社として、先の青海神社の他、高家神社・鼓岡神社・白峰宮などがある。
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