崇徳天皇の讃岐配流の際の行在所「鼓の岡」の地、神櫛別命の墓の伝承も
[住所]香川県坂出市府中町乙5116
[電話]0877-48-1936 - 城山神社

鼓岡神社(つづみがおかじんじゃ)は、香川県坂出市府中町にある神社。御朱印の有無は不明。

平安時代末期の保元元年(1156年)、保元の乱で敗北した崇徳天皇(退位後は讃岐院・崇徳上皇)が配流先の讃岐国で設けた行在所と伝える。

『保元物語』では、崇徳上皇はまず「在庁高遠の松山の御堂(雲井御所跡)」に入り、のち「直島」の御所に移り、そして「鼓の岡」に御所を新造し、移ったとある。

当地に設けられた御殿は「木の丸殿(このまるでん)」と呼ばれ、崩御までの6年あまりの間生活を営んだという。

当地周辺には讃岐国府跡地もあり、当時の讃岐国の中心地であった。また、周辺には内裏泉、菊塚、怨塚などの崇徳上皇ゆかりの遺跡が残っている。

崇徳上皇の崩御後、当地の御所は後白河上皇近侍の阿闍梨章実が鎌倉時代初期の建久2年(1191年)、白峰に移して菩提を弔う頓証寺(白峯寺境内)としたという。

九条兼実の日記『玉葉』には、崩御の地に一堂を設けるよう沙汰が下されているが、その命で建てられたのが当社の草創と伝える。

また、章実が御所を白峰に移した後、跡地に代わるものとして建てられたのが当社とも伝える。

御祭神は、崇徳天皇。現在は神倭伊波禮彦神を合祀する。

「鼓岡」の社名は、丘の頂上付近で地面を叩くと鼓のような音がしたからという。

なお、当地は円墳または前方後円墳だったとも見られており、当社近くに鎮座する城山神社では、讃岐国造の祖である神櫛別命の墓とも伝えている。

死穢を嫌う高貴な方が、わざわざ古墳の上に行在所を設けるというのもうなずけない面があるが。

境内には、本殿・拝殿の他、観音堂・擬古堂・杜鵑塚・鼓岡行宮旧址碑などがある。

なお、崇徳天皇に関する神社としては他に、高家神社青海神社天皇神社白峰宮などがある。

【ご利益】
諸願成就
鼓岡神社 - 崇徳天皇の讃岐配流の際の行在所「鼓の岡」の地、神櫛別命の墓の伝承も
【関連記事】
香川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、香川県に鎮座している神社の一覧