崇徳天皇の棺から血が流れた「血の宮」、もとは国史見在社か
[住所]香川県坂出市高屋町揚北
[電話]-
高家神社(たかべじんじゃ)は、香川県坂出市高屋町にある神社。御朱印の有無は不明。
旧松山村大字高屋字揚北。白峰寺へ行く途中にあり、新四国曼荼羅霊場第14番観音寺の看板を目印に進めば当社に着く。
創建は不詳。往古に高家首の一族が当地に居住し、その遠祖である天道根命を奉斎して氏神とした。森の宮とも称せられる。
天道根命は、『先代旧事本紀』では、神皇産霊尊の子神である天御食持命の次で、『新撰姓氏録』では神魂命(神皇産霊尊に同じ)の5世孫。
平安時代、『日本三代実録』貞観6年(864年)10月15日条に「讃岐国正六位上高屋…従五位下」とある。
同じく貞観9年(867年)5月17日の条に「授讃岐国正六位上高家神従五位下」とある。
前者が観音寺市高屋町の高屋神社とされ、後者は当社のことではないかとされる。であれば、国史見在社。
当社が何よりも有名なのは、崇徳天皇ゆかりの社であること。
保元の乱で讃岐配流となった崇徳天皇(すでに退位して讃岐院・崇徳上皇)は長寛2年(1164年9月14日)に崩御。
棺を白峰に運ぶ途中、雷雨に遭い、当社で棺を休めたところ、棺から血が流れた落ちたことから、当社は血ノ宮(血の宮)と呼ばれるようになった。
その後、棺を置いた台石も当社に納められ、現在も境内に安置されている。
現在までに御祭神は、天道根神の他に、崇徳天皇・待賢門院。待賢門院は、藤原璋子で、崇徳天皇の母。
また、相殿に、大鞆和気尊・息長足姫尊・大己貴神・埴山比売神・少彦名神・倉稲魂神・大山亂命・木華侖屋姫命・伊弉那伎命・伊弉那美命・豊受大神を祀る。
崇徳天皇に関連する神社として他に、青海神社・鼓岡神社・白峰宮・天皇神社などがある。
【ご利益】
諸願成就

【関連記事】
・国史見在社 - 『延喜式』に先行する六国史に記載のある神社で、式外社を指すことが多い
・香川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、香川県に鎮座している神社の一覧
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高家神社(たかべじんじゃ)は、香川県坂出市高屋町にある神社。御朱印の有無は不明。
旧松山村大字高屋字揚北。白峰寺へ行く途中にあり、新四国曼荼羅霊場第14番観音寺の看板を目印に進めば当社に着く。
創建は不詳。往古に高家首の一族が当地に居住し、その遠祖である天道根命を奉斎して氏神とした。森の宮とも称せられる。
天道根命は、『先代旧事本紀』では、神皇産霊尊の子神である天御食持命の次で、『新撰姓氏録』では神魂命(神皇産霊尊に同じ)の5世孫。
平安時代、『日本三代実録』貞観6年(864年)10月15日条に「讃岐国正六位上高屋…従五位下」とある。
同じく貞観9年(867年)5月17日の条に「授讃岐国正六位上高家神従五位下」とある。
前者が観音寺市高屋町の高屋神社とされ、後者は当社のことではないかとされる。であれば、国史見在社。
当社が何よりも有名なのは、崇徳天皇ゆかりの社であること。
保元の乱で讃岐配流となった崇徳天皇(すでに退位して讃岐院・崇徳上皇)は長寛2年(1164年9月14日)に崩御。
棺を白峰に運ぶ途中、雷雨に遭い、当社で棺を休めたところ、棺から血が流れた落ちたことから、当社は血ノ宮(血の宮)と呼ばれるようになった。
その後、棺を置いた台石も当社に納められ、現在も境内に安置されている。
現在までに御祭神は、天道根神の他に、崇徳天皇・待賢門院。待賢門院は、藤原璋子で、崇徳天皇の母。
また、相殿に、大鞆和気尊・息長足姫尊・大己貴神・埴山比売神・少彦名神・倉稲魂神・大山亂命・木華侖屋姫命・伊弉那伎命・伊弉那美命・豊受大神を祀る。
崇徳天皇に関連する神社として他に、青海神社・鼓岡神社・白峰宮・天皇神社などがある。
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