鎌倉期からの修験熊谷家15代当主が創建し即神即仏・ミイラとして再現
[住所]宮城県白石市小原馬頭山6
[電話]0224-29-2351
萬蔵稲荷神社(まんぞういなりじんじゃ)は、宮城県白石市にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建年代は不詳、あるいは江戸時代後期の天明5年(1785年)ごろとも。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を主祭神とする。
天明5年(1785年)ごろ、鎌倉時代からの金剛院修験の家柄で、15代当主熊谷萬蔵は、小坂峠付近で馬方をしていた。
ある夜、峠にさしかかった場所で旅に疲れた一人の老人を自宅に招待しもてなした。
翌朝、老人は自身が稲荷神社の化身であると名乗り、礼として三頭の馬を萬蔵に贈った。
萬蔵は贈られた三頭の馬を資金に稲荷神社を建立した。これが当社の起源。旧社名は賀良明貴稲荷(がらみきいなり)。
萬蔵は自らも出羽三山で修行し、神仏の信奉生活と社会奉仕に生涯をささげ、「大阿闇梨金剛院祐観」の院号を受けた。
萬蔵は弘化4年(1847年)6月27日に81歳で円寂。遺言により、3年3ヶ月後に墓は開かれ、即神即仏(ミイラ)の姿となって村人の前に再現したという。
明治2年(1869年)に萬三稲荷神社と改称。明治42年(1909年)に近隣16社11柱の御祭神を合祀し、村社に列した。
信者たちはいつしか萬蔵の名前を含めて、「萬蔵稲荷様」と崇め称えるようになった。熊谷家は現在も宮司家。
例祭は旧暦3月10日と旧暦9月19日。
稲荷神社では少なくないが、当社も鳥居が数えられないほどすらりと並び、幻想的な風景を醸し出している。
「縁」を取り結ぶ神として信仰され、仕事・事業・商売はもちろん、恋愛に関してもパワースポットとして認知されている。
【ご利益】
事業成功、商売繁盛、縁結び

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・宮城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮城県に鎮座している神社の一覧
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萬蔵稲荷神社(まんぞういなりじんじゃ)は、宮城県白石市にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建年代は不詳、あるいは江戸時代後期の天明5年(1785年)ごろとも。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を主祭神とする。
天明5年(1785年)ごろ、鎌倉時代からの金剛院修験の家柄で、15代当主熊谷萬蔵は、小坂峠付近で馬方をしていた。
ある夜、峠にさしかかった場所で旅に疲れた一人の老人を自宅に招待しもてなした。
翌朝、老人は自身が稲荷神社の化身であると名乗り、礼として三頭の馬を萬蔵に贈った。
萬蔵は贈られた三頭の馬を資金に稲荷神社を建立した。これが当社の起源。旧社名は賀良明貴稲荷(がらみきいなり)。
萬蔵は自らも出羽三山で修行し、神仏の信奉生活と社会奉仕に生涯をささげ、「大阿闇梨金剛院祐観」の院号を受けた。
萬蔵は弘化4年(1847年)6月27日に81歳で円寂。遺言により、3年3ヶ月後に墓は開かれ、即神即仏(ミイラ)の姿となって村人の前に再現したという。
明治2年(1869年)に萬三稲荷神社と改称。明治42年(1909年)に近隣16社11柱の御祭神を合祀し、村社に列した。
信者たちはいつしか萬蔵の名前を含めて、「萬蔵稲荷様」と崇め称えるようになった。熊谷家は現在も宮司家。
例祭は旧暦3月10日と旧暦9月19日。
稲荷神社では少なくないが、当社も鳥居が数えられないほどすらりと並び、幻想的な風景を醸し出している。
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