政宗の時代に佐沼に遷座、7月下旬には「6月まつり」、厄除饅頭
[住所]宮城県登米市迫町佐沼西佐沼147
[電話]0220-22-4804
津島神社(つしまじんじゃ)は、宮城県登米市迫町佐沼にある神社。近代社格では郷社。佐沼津島神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀は、第25代武烈天皇の時代とも、奈良時代の天平2年(730年)ともされる。主祭神は素戔嗚尊。
鎌倉時代の文治5年(1189年)、源頼朝が奥州藤原氏へ攻め入る際、当社で戦勝を祈願したという。
戦勝し、奥州を征服した後は、この地方の支配を任せた葛西氏に守護を命じた。
当社では、これを北方津島本宮社の創建とし、佐久間左衛門尉定義が奉仕、後に丹生の姓となったという。
戦国時代の天正19年(1591年)、伊達政宗が葛西大崎一揆の鎮圧のため佐沼城を攻撃した際、戦勝を祈願した。
後にこの地域は伊達氏に与えられ、佐沼の領主となった伊達氏の家臣湯目氏が守護を命じられた。この際に佐沼に遷座し、現在に至っている。
明治8年(1875年)に村社に列したが、明治45年(1912年)に社殿・幣殿・拝殿・随身門・末社四社を焼失。
大正7年(5月)に現社殿の起工祭が行われ、大正10年(1921年)には郷社に昇格、大正12年(1923年)に現社殿が竣工した。
平成3年(1991年)を鎮座400年としているため、伊達政宗による佐沼遷座を直接の創建としている。
例祭は7月下旬の金・土・日曜日。金曜日が例祭式、土曜日が御夜籠り、日曜日が神輿渡御。
本来は旧暦6月14日で、「六月まつり(六月祭り)」。県北一の大祭といわれ、この3日間は、出店や興業小屋が並び、道は人並みで溢れたという。
南部気仙三陸からは漁民が大挙して参篭し、お礼参りには玉石が奉納された。
佐沼名物みやげは祇園坊コロ柿型の饅頭で、いわゆる厄除饅頭と呼ばれ、一年一食の疫病除けとして人気だったという。
1月14日が松焚祭で、いわゆるどんと祭。
境内社に、竹駒神社(倉稲魂命)・道祖神社(猿田彦命)・金比羅神社(崇徳天皇)・山神社(木花咲耶姫命)がある。
大火の焼跡としての銀杏木、縁結びの木、御神木の他、芭蕉の句碑やおもかる石、御縁石などがある。
【ご利益】
厄災除け、縁結び、病魔退散、海上安全(公式HP)

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津島神社(つしまじんじゃ)は、宮城県登米市迫町佐沼にある神社。近代社格では郷社。佐沼津島神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀は、第25代武烈天皇の時代とも、奈良時代の天平2年(730年)ともされる。主祭神は素戔嗚尊。
鎌倉時代の文治5年(1189年)、源頼朝が奥州藤原氏へ攻め入る際、当社で戦勝を祈願したという。
戦勝し、奥州を征服した後は、この地方の支配を任せた葛西氏に守護を命じた。
当社では、これを北方津島本宮社の創建とし、佐久間左衛門尉定義が奉仕、後に丹生の姓となったという。
戦国時代の天正19年(1591年)、伊達政宗が葛西大崎一揆の鎮圧のため佐沼城を攻撃した際、戦勝を祈願した。
後にこの地域は伊達氏に与えられ、佐沼の領主となった伊達氏の家臣湯目氏が守護を命じられた。この際に佐沼に遷座し、現在に至っている。
明治8年(1875年)に村社に列したが、明治45年(1912年)に社殿・幣殿・拝殿・随身門・末社四社を焼失。
大正7年(5月)に現社殿の起工祭が行われ、大正10年(1921年)には郷社に昇格、大正12年(1923年)に現社殿が竣工した。
平成3年(1991年)を鎮座400年としているため、伊達政宗による佐沼遷座を直接の創建としている。
例祭は7月下旬の金・土・日曜日。金曜日が例祭式、土曜日が御夜籠り、日曜日が神輿渡御。
本来は旧暦6月14日で、「六月まつり(六月祭り)」。県北一の大祭といわれ、この3日間は、出店や興業小屋が並び、道は人並みで溢れたという。
南部気仙三陸からは漁民が大挙して参篭し、お礼参りには玉石が奉納された。
佐沼名物みやげは祇園坊コロ柿型の饅頭で、いわゆる厄除饅頭と呼ばれ、一年一食の疫病除けとして人気だったという。
1月14日が松焚祭で、いわゆるどんと祭。
境内社に、竹駒神社(倉稲魂命)・道祖神社(猿田彦命)・金比羅神社(崇徳天皇)・山神社(木花咲耶姫命)がある。
大火の焼跡としての銀杏木、縁結びの木、御神木の他、芭蕉の句碑やおもかる石、御縁石などがある。
【ご利益】
厄災除け、縁結び、病魔退散、海上安全(公式HP)

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