江戸初期に伊達成実が勧請した稲荷、東日本大震災で被災も復興へ
[住所]宮城県亘理郡亘理町荒浜字水神190-1
[電話]0223-35-2643

川口神社(かわぐちじんじゃ)は、宮城県亘理郡亘理町荒浜にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

江戸時代初期の寛永12年(1635年)3月20日、亘理城主伊達成実により勧請され、当時は「新浜湊神社」と呼ばれた。

正保2年(1645年)には米沢藩主上杉綱勝が金若干を寄進し、京都の吉田神社祠官であった吉田兼敬神祇伯に「大明神」の号を請い願った。

請願が受理されて以降は「川口」の二文字を付し、「川口大明神」と称するようになった。

天和3年(1683年)ごろになると付近は開拓が進み、民家も83戸に増えた。この時に地名を「新浜」から「荒浜」へと変更。

江戸時代中期の享保16年(1731年)11月、阿武隈川の河口が閉塞したため、貨物を運ぶ船(廻船)が荒浜へ入港することができなくなった。

この時仙台藩4代藩主伊達綱村は自ら出馬し、当社で祈祷したところ、河口の閉塞がただちに解消され、通船も便利になった。

そこで綱村は、川口大明神の霊験に感謝し、自書の扁額と家紋である「竹に雀紋」が入った幕を奉納したと伝わる。

明治5年(1872年)に現社号に改称、村社に列した。

主祭神は稲荷神で、宇迦之御魂神を祀る稲荷神社のため、現在も境内には狛犬の代わりに、稲荷神の神使である狐の石像(狛狐)が置かれている。

明治42年(1909年)3月に高須賀地区藤倉の湊神社を合祀したため、海神である大海津見神も併せて祀られた。

箱根田浜地区の水神社(水波之売神)、八幡神社(誉田別尊保食命・鳴雷命)、荒浜3丁目の黄金嶋神社(大山祇神埴山姫神)が合祀された。

平成23年(2011年)3月11日、東北地方太平洋沖地震により大津波が発生し、荒浜地区は甚大な被害を受けた。

阿武隈川河口のそばに鎮座する当社も、川を遡上し防波堤を超えた津波の直撃を受けた。

社殿は地面よりやや高い場所にあるため最小の被害で済んだが、瓦礫や車などが津波とともに境内に押し寄せ、社務所や宮司宅、神輿などが大きな被害を受けた。

その後ボランティア活動や諸機関の援助により、神輿や社務所・鎮守の森の復旧、流失した伝統芸能用の備品の寄贈が行われた。

例祭は4月20日・10月20日付近の日曜日。神輿渡御がある。神輿を神社へ収める際に歌われる「荒浜川口神社 輿納気合(木遣り)歌」が伝わる。

境内社に、金比羅神社(大物主神事代主神)、住吉神社(表筒男神中筒男神底筒男神)、青麻神社(天照大御神月読神天之御中主神)がある。

境内参道入口には、明治時代まで当社の別当を務めた天台寺門宗・成就院が鎮座し、絶対秘仏の十一面観音を安置している。

参道には忠魂碑や水神碑、エノキの大木、社殿付近には神輿堂、社務所がある。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、水難除け・海上安全など
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