平安期創建の青麻・三光神社の総本社、中風封じのご利益、仙台藩主の崇敬
[住所]宮城県仙台市宮城野区岩切字青麻沢30
[電話]022-255-6670
青麻神社(あおそじんじゃ)は、宮城県仙台市宮城野区岩切にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
旧称を青麻岩戸三光宮、青麻権現社、嵯峨神社などといい、日本各地にある青麻神社・三光神社の総本社である。
社伝によれば、平安時代の仁寿2年(852年)、社家の遠祖穂積保昌が山城国から当地に下向し、一族が尊崇していた日月星の三光の神を山峡の岩窟の中に祀ったのが始まり。
天照大御神・月読神・天之御中主神を主祭神とする。それぞれ日神・月神・星神であり、神仏習合の時代には大日如来・不動明王・虚空蔵菩薩としていた。
穂積保昌が土地の人々に麻の栽培を教えたことにより「青麻」の地名・社名となり、神紋も麻の葉である。
また、穂積氏が水運に携わっていたことにより海上安全の信仰がある。
江戸時代の天和2年(1682年)、源義経の家臣であった常陸坊海尊(清悦仙人)であると称する老人が当地を訪れ、中風を治す霊験を顕した。
このことにより、後に常陸坊海尊が配祀された。
延享3年(1746年)には陸奥仙台藩6代藩主伊達宗村が、宝暦8年(1758年)には7代藩主伊達重村が、文政元年(1818年)には8代藩主伊達斉村が、慶応3年(1867年)には13代藩主伊達慶邦などが参拝。
享和年間(1801年-1804年)に社殿を再興し、明治8年(1875年)5月に郷社に列格した。大正5年(1916年)から、大正御大典記念事業として社殿の大増改築を行った。
昭和43年(1968年)に不慮の火災に遭い、社殿・随神門・神楽殿を失うも、昭和45年(1970年)に現社殿が再建された。
昭和58年4月27日、泉市(現 仙台市泉区)山林より出火の山林火災では、社殿・神楽殿は類焼を免れた。
現社務所は昭和59年(1984年)4月、現隨神門は平成12年(2000年)9月の再建になる。
例祭は5月1日。もともとは旧暦4月1日だったが、明治より改められた。5月3日まで、榊流青麻神楽などが奉納される。
境内社に、山神社・御井神社・七福神祠がある。
【ご利益】
中風病除け、中風平癒、海上安全・交通安全、開運招福(公式HP)
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・宮城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮城県に鎮座している神社の一覧
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青麻神社(あおそじんじゃ)は、宮城県仙台市宮城野区岩切にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
旧称を青麻岩戸三光宮、青麻権現社、嵯峨神社などといい、日本各地にある青麻神社・三光神社の総本社である。
社伝によれば、平安時代の仁寿2年(852年)、社家の遠祖穂積保昌が山城国から当地に下向し、一族が尊崇していた日月星の三光の神を山峡の岩窟の中に祀ったのが始まり。
天照大御神・月読神・天之御中主神を主祭神とする。それぞれ日神・月神・星神であり、神仏習合の時代には大日如来・不動明王・虚空蔵菩薩としていた。
穂積保昌が土地の人々に麻の栽培を教えたことにより「青麻」の地名・社名となり、神紋も麻の葉である。
また、穂積氏が水運に携わっていたことにより海上安全の信仰がある。
江戸時代の天和2年(1682年)、源義経の家臣であった常陸坊海尊(清悦仙人)であると称する老人が当地を訪れ、中風を治す霊験を顕した。
このことにより、後に常陸坊海尊が配祀された。
延享3年(1746年)には陸奥仙台藩6代藩主伊達宗村が、宝暦8年(1758年)には7代藩主伊達重村が、文政元年(1818年)には8代藩主伊達斉村が、慶応3年(1867年)には13代藩主伊達慶邦などが参拝。
享和年間(1801年-1804年)に社殿を再興し、明治8年(1875年)5月に郷社に列格した。大正5年(1916年)から、大正御大典記念事業として社殿の大増改築を行った。
昭和43年(1968年)に不慮の火災に遭い、社殿・随神門・神楽殿を失うも、昭和45年(1970年)に現社殿が再建された。
昭和58年4月27日、泉市(現 仙台市泉区)山林より出火の山林火災では、社殿・神楽殿は類焼を免れた。
現社務所は昭和59年(1984年)4月、現隨神門は平成12年(2000年)9月の再建になる。
例祭は5月1日。もともとは旧暦4月1日だったが、明治より改められた。5月3日まで、榊流青麻神楽などが奉納される。
境内社に、山神社・御井神社・七福神祠がある。
【ご利益】
中風病除け、中風平癒、海上安全・交通安全、開運招福(公式HP)
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