『日本書紀』記載、あしや人形感謝祭と祇園山笠、なんじゃもんじゃの木
[住所]福岡県遠賀郡芦屋町船頭町11-21
[電話]093-223-0216
岡湊神社(おかのみなとじんじゃ/おかみなとじんじゃ)は、福岡県遠賀郡芦屋町船頭町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
「おかのみなと」が正確か。『日本書紀』には「崗之水門」として記載がある。国史見在社。第14代仲哀天皇の条となる。
『古事記』には「岡田宮」は出てくるが、初代神武天皇の条で、岡田と「おかのみなと」では違う。
『古事記』の「岡田宮」は、北九州市八幡西区の岡田宮や、当社ともゆかりの深く、近くに鎮座する神武天皇社が候補地となっている。
御祭神は、大倉主命・菟夫羅媛命。遠賀郡岡垣町の高倉神社と同じ御祭神であり、由緒を共有する。例祭は10月15日・16日。
素戔嗚命を配祀する。漁師の網にかかった人形が素戔嗚命だったことによる。村長の娘の託宣によって、当社に奉納され、疫病が治まったという。
古来、大倉社と呼ばれていたが、その後は祇園大倉社または祇園宮寺、単に祇園社と呼ばれるようになった。
夏に2基の山笠が博多人形を乗せて芦屋町内を練り歩く。現在も7月中旬の土・日曜日に祗園山笠がある。
祗園山笠における祗園太鼓は、島原の乱に出陣した黒田藩の軍鼓、陣鐘の勇壮さを伝えている。
この祭りに先立ち、以前までは3月、今は4月下旬に「あしや人形感謝祭」が催行され、自分の身代わりとなったお人形や、動物達に感謝の年を抱く伝統行事がある。
平成18年(2006年)には、人形が大活躍するアニメーション「RozenMaiden」のキャラクターがポスターに登場し、イベントが行われた。
もともと、女の子が生れると団子雛を作り、男の子が生まれるとワラの馬を作って祝う。人形に関する神社の一つ。
「あしや人形感謝祭」と時期を同じくし、4月下旬から5月上旬にかけて、有名ななんじゃもんじゃの木が、雪を被ったように咲き誇る。
天正14年(1586年)、薩摩の島津義弘の軍が筑前に侵入、大友義鎮軍と交戦した際、戦禍を蒙り、社殿社宝などはことごとく焼失した。
その後、さらに衰微するが、江戸時代になり、正保2年(1645年)6月に再建、延宝6年(1678年)2月、筑前福岡藩3代藩主黒田光之より社領6000坪を賜る。いわゆる神の松原。
宝暦9年(1759年)11月、拝殿を改築、文化5年(1808年)11月にも修営。神託によって得た翁面2面及び鈴一振があり、宝物としている。
昭和4年(1929年)3月、中之浜・船頭町大火災により社殿が焼失したが、昭和9年(1934年)に再建した。
昭和20年(1945年)6月、爆撃のため社殿を焼失した神武天皇社の御神体が当社に遷座。その後神武天皇社は再興したが、現在も当社は神武天皇社を兼務している。
当社宮司邸には神仏習合で廃寺となった千光院跡があり、庭には樹齢400年を超える幹周り10メートルの大きな蘇鉄がある。
この大蘇鉄は、寛永14年(1637年)の島原の乱の鎮圧の際、福岡藩や直方藩から出陣した将兵が、戦勝記念に原城にあったものを持ち帰ったもの
昭和32年(1957年)、日本三大蘇鉄の一つのこの蘇鉄の子株が、島原の猛島神社に贈られ、里帰りを果たした。
現在は、天照皇大神も配祀する。毎月2月8日に鉄供養祭が行われ、 芦屋釜の里鋳物師やお針子さんが訪れる。
【ご利益】
厄災除け、病気平癒、病魔退散
【関連記事】
・国史見在社 - 『延喜式』に先行する六国史に記載のある神社で、式外社を指すことが多い
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岡湊神社(おかのみなとじんじゃ/おかみなとじんじゃ)は、福岡県遠賀郡芦屋町船頭町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
「おかのみなと」が正確か。『日本書紀』には「崗之水門」として記載がある。国史見在社。第14代仲哀天皇の条となる。
『古事記』には「岡田宮」は出てくるが、初代神武天皇の条で、岡田と「おかのみなと」では違う。
『古事記』の「岡田宮」は、北九州市八幡西区の岡田宮や、当社ともゆかりの深く、近くに鎮座する神武天皇社が候補地となっている。
御祭神は、大倉主命・菟夫羅媛命。遠賀郡岡垣町の高倉神社と同じ御祭神であり、由緒を共有する。例祭は10月15日・16日。
素戔嗚命を配祀する。漁師の網にかかった人形が素戔嗚命だったことによる。村長の娘の託宣によって、当社に奉納され、疫病が治まったという。
古来、大倉社と呼ばれていたが、その後は祇園大倉社または祇園宮寺、単に祇園社と呼ばれるようになった。
夏に2基の山笠が博多人形を乗せて芦屋町内を練り歩く。現在も7月中旬の土・日曜日に祗園山笠がある。
祗園山笠における祗園太鼓は、島原の乱に出陣した黒田藩の軍鼓、陣鐘の勇壮さを伝えている。
この祭りに先立ち、以前までは3月、今は4月下旬に「あしや人形感謝祭」が催行され、自分の身代わりとなったお人形や、動物達に感謝の年を抱く伝統行事がある。
平成18年(2006年)には、人形が大活躍するアニメーション「RozenMaiden」のキャラクターがポスターに登場し、イベントが行われた。
もともと、女の子が生れると団子雛を作り、男の子が生まれるとワラの馬を作って祝う。人形に関する神社の一つ。
「あしや人形感謝祭」と時期を同じくし、4月下旬から5月上旬にかけて、有名ななんじゃもんじゃの木が、雪を被ったように咲き誇る。
天正14年(1586年)、薩摩の島津義弘の軍が筑前に侵入、大友義鎮軍と交戦した際、戦禍を蒙り、社殿社宝などはことごとく焼失した。
その後、さらに衰微するが、江戸時代になり、正保2年(1645年)6月に再建、延宝6年(1678年)2月、筑前福岡藩3代藩主黒田光之より社領6000坪を賜る。いわゆる神の松原。
宝暦9年(1759年)11月、拝殿を改築、文化5年(1808年)11月にも修営。神託によって得た翁面2面及び鈴一振があり、宝物としている。
昭和4年(1929年)3月、中之浜・船頭町大火災により社殿が焼失したが、昭和9年(1934年)に再建した。
昭和20年(1945年)6月、爆撃のため社殿を焼失した神武天皇社の御神体が当社に遷座。その後神武天皇社は再興したが、現在も当社は神武天皇社を兼務している。
当社宮司邸には神仏習合で廃寺となった千光院跡があり、庭には樹齢400年を超える幹周り10メートルの大きな蘇鉄がある。
この大蘇鉄は、寛永14年(1637年)の島原の乱の鎮圧の際、福岡藩や直方藩から出陣した将兵が、戦勝記念に原城にあったものを持ち帰ったもの
昭和32年(1957年)、日本三大蘇鉄の一つのこの蘇鉄の子株が、島原の猛島神社に贈られ、里帰りを果たした。
現在は、天照皇大神も配祀する。毎月2月8日に鉄供養祭が行われ、 芦屋釜の里鋳物師やお針子さんが訪れる。
【ご利益】
厄災除け、病気平癒、病魔退散
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