神功皇后の帰還の御神徳、5月に福岡県の五大祭りの一つ「川渡り神幸祭」
[住所]福岡県田川市魚町2-30
[電話]0947-42-1135

風治八幡宮(ふうじはちまんぐう)は、福岡県田川市魚町にある神社。近代社格では郷社。筑豊一之宮を称する。参拝すれば、御朱印を頂ける。

古くは「伊田大神」あるいは「飯田大神」と称して、海津見神を祀る地主神だったという。

縁起によると、「太古泥濘氾濫し、田野が開けず四辺が海浜に接していた頃、海より寄せ来た神があり、海津見神と名乗られた。田野が開けた頃里人はこの神を礎に御前の山頂に祀った」とある。

現在の田川伊田駅の正面にある宮山、いわゆる高羽山に奉斎された。

平安時代の弘仁5年(814年)6月、大旱害に見舞われた際、郡司が伝教大師最澄に請願し、伊田大神に祈念してもらうと、たちまち雨が降り、五穀が潤ったという。

後の弘仁8年(817年)、その霊験あらたかな奇瑞を後世に伝えるため、伊田宮山に社殿を造営し、風の一字を加えて風宮とし、蓮台寺・長松寿院の両院を開いて神宮寺とした。

貞観3年(861年)9月、宇佐より八幡神を勧請した。御祭神は、応神天皇仲哀天皇神功皇后・海津見神・豊玉姫命玉依姫命

室町時代の永享3年(1431年)、長松寿院が兵火により焼失。

江戸時代になり、元和元年(1615年)、国主細川氏による手永制度への改制により、伊田手永の手永大社と定められた。

伊田手永は、上野・金田・伊田・弓削田・猪膝・安宅・落合の七手永の一つで、上伊田・中伊田・下伊田・伊加利・上今任・下今任・上赤・下赤・大内田・小内田・安永・秋永・桑原・山浦の十四ヶ村に相当する。

元禄元年(1688年)3月、国主小笠原氏が、神功皇后の凱旋の神徳にちなみ、風治の字を贈り、現社号に改称した。参道入り口には神功皇后腰掛石がある。

なお、火災により資料が焼失して不詳だが、昭和39年(1964年)10月に「鎮座1760年・創建1150年」の式年大祭が斎行された。鎮座は西暦204年、創建は先の通り814年となる。

例祭は5月第3土・日曜日で、川渡り神幸祭。県指定無形民俗文化財で、指定第一号である。福岡県の五大祭りの一つ。

戦国時代の永禄年間(1558年-1569年)、当時の伊田村に疫病が流行した際、当宮にその終息を祈願し、成就のお礼として幟山笠が奉納されたことが起源。

450年以上続く祭典であり、最大の見所である川渡りは、彦山川の新橋・番田橋間で行われる。

末社に、恵比須神社・生目神社・須佐神社・五穀神社・大名持神社・塞神社を合祀した祇園社と、稲荷社がある。樹齢約200年の御神木である大クスがある。

【ご利益】
五穀豊穣、殖産工業、厄災除け、開運招福、交通安全(公式HP
風治八幡宮 - 神功皇后の帰還の御神徳、5月に福岡県の五大祭りの一つ「川渡り神幸祭」
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風治八幡宮の御朱印