筑紫物部氏ゆかり、高倉下を奉斎か?イザナギの十拳剣に縁深く
[住所]福岡県直方市下新入2565
[電話]0949-22-2682
劔神社(つるぎじんじゃ、剣神社)は、福岡県直方市下新入にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
祭祀の始祖は、筑紫の国造で、第8代孝元天皇の五世孫である田道の命であり、筑紫物部を率いて神々を祀ったという。
遠賀川流域は物部氏のゆかりの地域である。田道の命の裔である長田彦が、神官となったという。
往古は倉師大明神(くらじだいみょうじん)と称えられ、そのことから高倉下命との強い関係が読み取れる。
創建年代は明らかではないが、六ヶ岳の東嶺「天上嶽」に鎮座していた。
室町時代に入って、足利義満は、高向兵部卿良舜を奉行とし社殿を造営した。
戦国時代には、龍ヶ嶽城主杉氏が当社を粥田莊鎮守の宗社として崇敬し、社殿を紫竹原に遷座・造営。
その際、熱田神宮より日本武尊を相殿に奉祀して「八劔大神」と称えた。
このことでようやく草薙の剣とつながるが、全国多くの同名神社とは異なり、当社は、もともとは『古事記』にも描かれた伊邪那岐大神の十拳剣に縁深い神社。
現在までの御祭神は、伊邪那岐大神・伊邪那美大神・日本武尊と、十拳剣から生まれた8柱の神々。つまり、十拳剣の
・先端からの血が岩石に落ちて生成された石折神・根折神・石筒之男神
・刀身の根本からの血が岩石に落ちて生成された甕速日神・樋速日神・建御雷之男神
・柄からの血より生成された闇淤加美神・闇御津羽神
江戸時代に入って、野火により社殿は焼失し、現在の亀丘に遷座した。筑前直方藩黒田長清が再び造営している。
現在の社殿は、氏子中の奉讃により建立されたもの。
例祭は、4月18日が春季大祭、10月日曜日に秋季大祭を斎行する。
兼務神社に、庚申社・直日神社・明神社・稲荷神社がある。
【ご利益】
家内安全・身体壮健・無病息災・病気平癒など(公式HP)

【関連記事】
・福岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福岡県に鎮座している神社の一覧
[電話]0949-22-2682
劔神社(つるぎじんじゃ、剣神社)は、福岡県直方市下新入にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
祭祀の始祖は、筑紫の国造で、第8代孝元天皇の五世孫である田道の命であり、筑紫物部を率いて神々を祀ったという。
遠賀川流域は物部氏のゆかりの地域である。田道の命の裔である長田彦が、神官となったという。
往古は倉師大明神(くらじだいみょうじん)と称えられ、そのことから高倉下命との強い関係が読み取れる。
創建年代は明らかではないが、六ヶ岳の東嶺「天上嶽」に鎮座していた。
室町時代に入って、足利義満は、高向兵部卿良舜を奉行とし社殿を造営した。
戦国時代には、龍ヶ嶽城主杉氏が当社を粥田莊鎮守の宗社として崇敬し、社殿を紫竹原に遷座・造営。
その際、熱田神宮より日本武尊を相殿に奉祀して「八劔大神」と称えた。
このことでようやく草薙の剣とつながるが、全国多くの同名神社とは異なり、当社は、もともとは『古事記』にも描かれた伊邪那岐大神の十拳剣に縁深い神社。
現在までの御祭神は、伊邪那岐大神・伊邪那美大神・日本武尊と、十拳剣から生まれた8柱の神々。つまり、十拳剣の
・先端からの血が岩石に落ちて生成された石折神・根折神・石筒之男神
・刀身の根本からの血が岩石に落ちて生成された甕速日神・樋速日神・建御雷之男神
・柄からの血より生成された闇淤加美神・闇御津羽神
江戸時代に入って、野火により社殿は焼失し、現在の亀丘に遷座した。筑前直方藩黒田長清が再び造営している。
現在の社殿は、氏子中の奉讃により建立されたもの。
例祭は、4月18日が春季大祭、10月日曜日に秋季大祭を斎行する。
兼務神社に、庚申社・直日神社・明神社・稲荷神社がある。
【ご利益】
家内安全・身体壮健・無病息災・病気平癒など(公式HP)

【関連記事】
・福岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福岡県に鎮座している神社の一覧
コメント