神武天皇が東遷途上で逗留した地、北九州黒崎の鎮守、7月に黒崎祇園山笠奉納
[住所]福岡県北九州市八幡西区岡田町1-1
[電話]093-621-1898

岡田宮(おかだぐう)は、福岡県北九州市八幡西区岡田町にある神社。近代社格では村社。正式には岡田神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

岡田宮・熊手宮・八所宮の、天・地・人の三ノ宮を有する。

かつて崗地方(旧 遠賀郡)を治めた熊族が、洞海菊竹ノ浜(貞元)に祖先神を祀ったのが始まりとされる。

そのためにこの地域一帯を「熊手」と号したといわれる。現在の熊手宮の直接の起源となる。

初代神武天皇が東遷の途上に、この地に1年間逗留し、八所神を祀ったとされる。『古事記』に「於筑紫之岡田宮一年坐」とあり、岡田宮の候補地の一つ。

この岡田宮が『日本書紀』にある岡水門のことであれば、国史見在社となる。なお、岡田宮の候補地は他に、遠賀郡芦屋町の神武天皇社がある。

当社によれば、第14代仲哀天皇の時代、恭順した崗県主熊鰐の案内によって、神功皇后が岡田宮の八所神を奉祭したという。

・岡田宮の御祭神は、神日本磐余彦命。
・熊手宮は、大国主命少名彦神・県主熊鰐命。
・八所宮は、高皇産霊神神皇産霊神・玉留産霊神・生産霊神・足産霊神・大宮売神事代主神・御膳神。

鎮座地は北部九州の要衝の地であり、平安時代、天慶3年(940年)の藤原純友の乱の際、官軍の主将小野好古と副将源経基が必勝を祈願して神鈴を奉納したと伝わる。

鎌倉時代初期の建久5年(1194年)、遠賀郡・鞍手郡を領した宇都宮重業は祭礼法度を定め、波多野兼直に祭祀させたという。以来、社領18ヶ所・末寺9坊と栄えた。

戦国時代の永禄2年(1559年)に大友氏の兵火に遭い社殿を焼失したものの、永禄8年(1565年)に麻生元重により社殿が復興された。

江戸時代初期の慶長10年(1605年)、黒崎城が築城され、黒崎宿が整備されると、貞元から現在地へ遷座し、黒崎熊手の総鎮守として、上下の崇敬を受けた。

幕末の慶応元年(1865年)には三条実美が太宰府へ落ち延びる最中に和歌を奉納している。

明治5年(1872年)に村社に列し、明治41年(1908年)には神饌幣帛料供進社に指定される。

現在では北九州市の副都心である黒崎地区の鎮守神の一社として、多くの参拝者で賑わう。

例祭は10月18日・19日で秋季大祭。7月21日-23日には祇園大祭があり、黒崎祇園山笠の奉納は北九州の風物詩として有名である。

9月24日・25日には放生大祭(放生会)があり、1月中旬にどんど焼祭、2月3日に節分祭(厄祓)があって、巨大なお多福門が設置される。12月3日がえびす祭。

なお、兵庫県西宮市の廣田神社の境外摂社である岡田神社には筑紫の岡田村からの移住に関わる伝承が残され、岡田宮やその地域との関係が指摘されている。

【ご利益】
安産、災厄除け、八方除など(公式HP
岡田宮 - 神武天皇が東遷途上で逗留した地、北九州黒崎の鎮守、7月に黒崎祇園山笠奉納
【関連記事】
お多福門が設置される神社 - 年明けから節分までの主に九州の代名詞、設置期間は?
福岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福岡県に鎮座している神社の一覧
岡田宮の御朱印