熊野を勧請、10月例祭では平戸神楽、2月は節分祭と愛宕祭り
[住所]長崎県佐世保市相浦町2343
[電話]0956-47-2515
飯盛神社(いいもりじんじゃ)は、長崎県佐世保市相浦町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
佐世保市西部、相浦の市街地に、相浦富士とも呼ばれる、標高259メートルの愛宕山を背に南面して鎮座する。
創祀年代は不詳だが、熊野三所大権現の分霊を勧請したものという。
戦国時代の天正8年(1580年)に現社地に遷座。「飯盛大権現」と称され、松浦氏から崇敬され、社領3石2斗1升が寄進された。
松浦氏25代当主松浦隆信(導可)が、京都の愛宕神社から勧請した愛宕勝軍地蔵菩薩が東漸寺により祀られている。
以来、当社そのものも愛宕と呼ばれることも多く、現在も毎年2月24日から26日まで愛宕祭り(愛宕まつり)が行われ、地蔵菩薩の御開帳もある。
明治4年(1871年)に現社名に改称し、明治7年(1874年)、郷社に列した。
御祭神は、伊弉諾尊・伊弉冉尊・事解男命・素盞鳴命・速玉男命・大山咋命・松浦丹後守政公・松浦幸松丸公。
本殿の扁額には飯盛を頭にして、松尾・愛宕・祇園と併記され、その下に神社が付されている形態となっている。
松浦丹後守政(1477年-1498年)は、松浦丹後守定の子で、大智庵城を根拠とした武将。平戸弘定に攻められ、討ち死にする。幸松丸は子で、政の死後、平戸家に幽閉される。
政の墓は現在、大智庵城の本丸にある。当社への合祀の詳細は不詳だが、系列が若干違うとはいえ、非業の死を遂げた一族の祖を、やはり導可が合祀したものか。
幸松丸については、竹辺町の大宮姫神社に関連伝承がある。
例祭は10月17日-19日。平戸大神楽が奉納される。2月の節分祭は豆まきに多くの人で賑わう。
境内社として靖国忠霊社があり、「義勇奉公」碑が同社殿隣に建立されている。
上相浦駅の隣駅の大学駅ホームの待合室内に、合格祈願と乗客の安全を願う目的で設けられている神棚の御神体は、当社の御分霊であるという。
【ご利益】
夫婦和合、厄災除け、火防

【関連記事】
・長崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長崎県に鎮座している神社の一覧
[電話]0956-47-2515
飯盛神社(いいもりじんじゃ)は、長崎県佐世保市相浦町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
佐世保市西部、相浦の市街地に、相浦富士とも呼ばれる、標高259メートルの愛宕山を背に南面して鎮座する。
創祀年代は不詳だが、熊野三所大権現の分霊を勧請したものという。
戦国時代の天正8年(1580年)に現社地に遷座。「飯盛大権現」と称され、松浦氏から崇敬され、社領3石2斗1升が寄進された。
松浦氏25代当主松浦隆信(導可)が、京都の愛宕神社から勧請した愛宕勝軍地蔵菩薩が東漸寺により祀られている。
以来、当社そのものも愛宕と呼ばれることも多く、現在も毎年2月24日から26日まで愛宕祭り(愛宕まつり)が行われ、地蔵菩薩の御開帳もある。
明治4年(1871年)に現社名に改称し、明治7年(1874年)、郷社に列した。
御祭神は、伊弉諾尊・伊弉冉尊・事解男命・素盞鳴命・速玉男命・大山咋命・松浦丹後守政公・松浦幸松丸公。
本殿の扁額には飯盛を頭にして、松尾・愛宕・祇園と併記され、その下に神社が付されている形態となっている。
松浦丹後守政(1477年-1498年)は、松浦丹後守定の子で、大智庵城を根拠とした武将。平戸弘定に攻められ、討ち死にする。幸松丸は子で、政の死後、平戸家に幽閉される。
政の墓は現在、大智庵城の本丸にある。当社への合祀の詳細は不詳だが、系列が若干違うとはいえ、非業の死を遂げた一族の祖を、やはり導可が合祀したものか。
幸松丸については、竹辺町の大宮姫神社に関連伝承がある。
例祭は10月17日-19日。平戸大神楽が奉納される。2月の節分祭は豆まきに多くの人で賑わう。
境内社として靖国忠霊社があり、「義勇奉公」碑が同社殿隣に建立されている。
上相浦駅の隣駅の大学駅ホームの待合室内に、合格祈願と乗客の安全を願う目的で設けられている神棚の御神体は、当社の御分霊であるという。
【ご利益】
夫婦和合、厄災除け、火防

【関連記事】
・長崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長崎県に鎮座している神社の一覧

コメント