マムシと鷹の因縁ある社、豊臣秀吉も戦勝祈願、11月に浜崎くんち
[住所]佐賀県唐津市浜玉町浜崎1181
[電話]0955-56-6241

諏訪神社(すわじんじゃ)は、佐賀県唐津市浜玉町浜崎にある神社。浜崎諏訪神社とも。御朱印の有無は不明。

平安時代直前の延暦3年(784年)、創建された。御祭神は、建御名方神・八坂刀売神・諏訪前命。諏訪前命については、伝承が残る。

百済から誓来(斎来)という鷹使いが大和朝廷に鷹を献上するため渡来すると、朝廷からは大矢田連の娘である諏訪姫が浜崎まで遣わされ、鷹狩の技術を学ぶことになった。

2人は恋愛関係となったが、斎来は帰国することとなり、その際に行われた鷹狩で鷹が蝮(マムシ)に絞め殺されてしまった。

これを嘆き諏訪姫は自害したため、これを悼み諏訪姫は当社に祀られることになった。このことから、当社の砂にはマムシ除けのご利益があるとされる。

さらにここでは、マムシは、単にヘビのマムシのみを指すのではなく、種々の病気や害をなすものの意味と考えられている。

境内の御神苑にある築山が諏訪姫の墓であると伝わる。

なお、百済であるならば、660年に滅亡しているため、創建時期とあわない。創祀についてはもっとさかのぼる可能性がある。

第28代宣化天皇(在位:536年?-539年?)の御代、大伴狭手彦が新羅征伐の際に戦勝祈願のため勧請したとも伝わる。

また、斎来も結局は帰国がかなわず、この地で客死したという。斎来社として、当社の末社で祀られている。

斎来社の隣には、殺された鷹を祀っているのだろうか、鷹社がある。

応仁の乱の時期(1467年-1477年)に戦火で焼失し、その後規模を縮小して再建された。

豊臣秀吉が文禄・慶長の役(文禄の役は1592年-1593年、慶長の役は1597年-1598年)のため、名護屋城に向かう道程で戦勝祈願のため参拝したと伝えられる。

その際、地元民が献上したといわれる餅菓子のけえらんは、現在でも周辺で土産物として売られている。

鷹にまつわる神社であり、また軍神である建御名方神を祀っていることから、福岡ソフトバンクホークスの関係者が戦勝祈願を行ったこともあるという。

境内には夫婦岩が奉斎されている。昭和の世に、近くの野田という部落で「女岩」が夜毎にすすり泣くといわれた。

当時の当社宮司と村人が相談の上、当社に前からあった「男岩」に嫁入りさせたところ、その後鳴き声はきこえなくなったという。

「道祖神」として祀られ、その後、「縁結び」「夫婦円満」「子授け」の神として信仰されている。

例祭は11月23日で秋季例大祭、浜崎くんち。獅子、稚児行列、神輿と神主を載せた台車などが出る。氏子である7地区が輪番で世話を勤める。

5月に春祭りがあり、マムシ除けの砂を取りに、周辺地域の多くの農家から参拝がある。

7月海の日過ぎの土・日曜日は境内社の須賀神社(祇園社)にちなむ浜崎祇園山笠で、浜崎の内町3地区(濱、東、西)が大漁、商売繁盛、五穀豊穣を祈願し、3台の山笠を奉納する。

境内社は他に、護国社や、天満宮・稲荷神社・道祖神・伊勢皇大神宮などがある。

【ご利益】
マムシ除け、厄災除け、病魔退散、諸願成就
諏訪神社(唐津市) - マムシと鷹の因縁ある社、豊臣秀吉も戦勝祈願、11月に浜崎くんち
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