肥前国与賀庄の鎮守、中世・近世の多くの建造物、樹齢数百年の大クスノキ
[住所]佐賀県佐賀市与賀町2-50
[電話]0952-23-6091
與賀神社(よかじんじゃ、与賀神社)は、佐賀県佐賀市与賀町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、飛鳥時代、第29代欽明天皇25年(564年)の創建で、当初は土地開拓の鎮守神だったという。
佐嘉郡小津西郷の塚原大明神を遷して祀ったもので、初め芦原大明神と称した後に、朝廷から与止日女大明神の神号を与えられ、勅願所となったとも。
与賀社大明神・前名塚原大明神とも呼ばれたという。御祭神は、与止日女神。豊玉姫命と同神とされる。竜宮城の姫で、海の神。
與止日女神社の御祭神と同一で、いずれかの時期に、與止日女神社を分祀したとも考えられ、與止日女神社と当社は上宮、下宮的関係にあったとも。
社伝によれば、鎌倉時代は「与賀庄鎮守宮」で、建暦2年(1212年)に北条義時が社殿を再興、寛元3年(1245年)に執権北条経時が勅により祭祀の礼式を定めたという。
建長3年(1251年)に与賀郷の地頭であった少弐資能が洪鐘一口を寄進した記録が残る。
さらに時代が下り、室町時代後期の文明14年(1482年)、大内氏に敗れた少弐政資が父教頼の旧館があったこの地に逃れ、与賀城を築き、当社を鬼門の鎮守として社殿を修復した。
このとき造立された楼門は県下最古期の建築物とされ、現在は国の重要文化財に指定されている。
神階は永正10年(1513年)に一位に進んだ。少弐氏没落後もこの地を治めた龍造寺氏、鍋島氏からの崇敬を集めた。
特に鍋島氏は藩祖鍋島直茂が朝鮮出兵の際に武運長久を祈願し、後にその報賽として社殿・拝殿・神輿などを寄進。その際の石橋が現存し、国の重要文化財に指定されている。
直茂が所望したものの、神慮を畏り、当社の宝物・御神刀となっている太刀も国の重要文化財。
初代藩主鍋島勝茂も毎年掃除人夫120人を給付し、他に社領として65石5斗を寄進した。
また、「佐賀荘正一位与止日女大明神」の銘を持つ肥前鳥居の三の鳥居が鍋島直茂夫人藤女(陽泰院)によって献納された。この鳥居も現在は国の重要文化財。
現在残る本殿・拝殿は、江戸時代中期の宝暦8年(1758年)、6代藩主鍋島宗教・7代藩主鍋島重茂の父子が造営したもの。現在は国の登録有形文化財。
現在は、八幡神・彦火々出見命、住吉神・綿津見命、乙宮神・宗像三女神、印鑰神・天児屋根命、応神天皇、菅原道真公を配祀する。
例祭は10月第4日曜日で秋祭、おくんち。氏子区域を巡行する御神幸で、台車2台に神輿を乗せて神社を出発し、御旅所の下宮までお下りし、午後にはお上りとなる。
8月7日に七夕祭が行われる。拝殿に社宝の掛軸「七夕星祭図」が掲げられ、社殿前には子供たちが願い事を書いた短冊を笹に飾り、神事を行う。
12月1日は350年ほどの歴史があるという宮講祭。会員の当番の家に与止日女大明神の御神号掛軸を、当社には御神像図掛軸を掲げて祭典を行う。
境内社に、佐賀恵比須神社、少弐神社などがある。少弐神社は、当社再興・郷土開発の守護神として祀る。毎年5月30日に少弐祭が行われる。
他に毎年4月19日、春祭の日に公開される「掛軸 与賀大明神縁起図」が市重要文化財、拝殿南側にあるクスノキが県の天然記念物に指定されている。
樹齢600年以上、当社発表では1400年超で、根回り25.5メートル、目通り幹回り9.8メートル、樹高20.5メートルという巨木の御神木。
【ご利益】
安産、学業・受験合格、交通安全、文武両道(公式HP)
【関連記事】
・佐賀県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・佐賀県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、佐賀県に鎮座している神社の一覧
[電話]0952-23-6091
與賀神社(よかじんじゃ、与賀神社)は、佐賀県佐賀市与賀町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、飛鳥時代、第29代欽明天皇25年(564年)の創建で、当初は土地開拓の鎮守神だったという。
佐嘉郡小津西郷の塚原大明神を遷して祀ったもので、初め芦原大明神と称した後に、朝廷から与止日女大明神の神号を与えられ、勅願所となったとも。
与賀社大明神・前名塚原大明神とも呼ばれたという。御祭神は、与止日女神。豊玉姫命と同神とされる。竜宮城の姫で、海の神。
與止日女神社の御祭神と同一で、いずれかの時期に、與止日女神社を分祀したとも考えられ、與止日女神社と当社は上宮、下宮的関係にあったとも。
社伝によれば、鎌倉時代は「与賀庄鎮守宮」で、建暦2年(1212年)に北条義時が社殿を再興、寛元3年(1245年)に執権北条経時が勅により祭祀の礼式を定めたという。
建長3年(1251年)に与賀郷の地頭であった少弐資能が洪鐘一口を寄進した記録が残る。
さらに時代が下り、室町時代後期の文明14年(1482年)、大内氏に敗れた少弐政資が父教頼の旧館があったこの地に逃れ、与賀城を築き、当社を鬼門の鎮守として社殿を修復した。
このとき造立された楼門は県下最古期の建築物とされ、現在は国の重要文化財に指定されている。
神階は永正10年(1513年)に一位に進んだ。少弐氏没落後もこの地を治めた龍造寺氏、鍋島氏からの崇敬を集めた。
特に鍋島氏は藩祖鍋島直茂が朝鮮出兵の際に武運長久を祈願し、後にその報賽として社殿・拝殿・神輿などを寄進。その際の石橋が現存し、国の重要文化財に指定されている。
直茂が所望したものの、神慮を畏り、当社の宝物・御神刀となっている太刀も国の重要文化財。
初代藩主鍋島勝茂も毎年掃除人夫120人を給付し、他に社領として65石5斗を寄進した。
また、「佐賀荘正一位与止日女大明神」の銘を持つ肥前鳥居の三の鳥居が鍋島直茂夫人藤女(陽泰院)によって献納された。この鳥居も現在は国の重要文化財。
現在残る本殿・拝殿は、江戸時代中期の宝暦8年(1758年)、6代藩主鍋島宗教・7代藩主鍋島重茂の父子が造営したもの。現在は国の登録有形文化財。
現在は、八幡神・彦火々出見命、住吉神・綿津見命、乙宮神・宗像三女神、印鑰神・天児屋根命、応神天皇、菅原道真公を配祀する。
例祭は10月第4日曜日で秋祭、おくんち。氏子区域を巡行する御神幸で、台車2台に神輿を乗せて神社を出発し、御旅所の下宮までお下りし、午後にはお上りとなる。
8月7日に七夕祭が行われる。拝殿に社宝の掛軸「七夕星祭図」が掲げられ、社殿前には子供たちが願い事を書いた短冊を笹に飾り、神事を行う。
12月1日は350年ほどの歴史があるという宮講祭。会員の当番の家に与止日女大明神の御神号掛軸を、当社には御神像図掛軸を掲げて祭典を行う。
境内社に、佐賀恵比須神社、少弐神社などがある。少弐神社は、当社再興・郷土開発の守護神として祀る。毎年5月30日に少弐祭が行われる。
他に毎年4月19日、春祭の日に公開される「掛軸 与賀大明神縁起図」が市重要文化財、拝殿南側にあるクスノキが県の天然記念物に指定されている。
樹齢600年以上、当社発表では1400年超で、根回り25.5メートル、目通り幹回り9.8メートル、樹高20.5メートルという巨木の御神木。
【ご利益】
安産、学業・受験合格、交通安全、文武両道(公式HP)
【関連記事】
・佐賀県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・佐賀県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、佐賀県に鎮座している神社の一覧
コメント