「矢部原」の新田開発祈願に創建された稲荷、江戸後期の獅子頭3体伝わる
[住所]神奈川県相模原市中央区矢部2-7-15
[電話]042-756-5952
村富神社(むらとみじんじゃ)は、神奈川県相模原市中央区矢部にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
江戸時代前期の寛文年間(1661年-1672年)に相模屋助右衛門が新田開発祈願のために稲荷神社として創建された。
「矢部原」といわれたこの原野は、甲斐から江戸に通ずる間道で、道のたもとに一円の密林があって、巨松が聳え、鎌倉街道見透の松といわれた。
この古道は鎌倉に向って走り、当地で江戸道と交っていた。 油屋・鍛冶屋・雑貨屋・木銭宿などを設け、延宝元年(1673年)、上矢部新田村が開村する。
江戸時代後期の文化3年(1806年)、獅子頭3体(剣獅子・玉獅子・巻獅子)が制作される。現存しており、現在は市指定有形民俗文化財である。
幕末の慶応2年(1866年)、伏見稲荷大社から改めて勧請する。主神は宇迦之御魂命(倉稲魂命)で、相殿に大己貴命・大宮姫命を祀る。
明治6年(1873年)、村社に列する。昭和17年(1942年)8月、現在地に遷座した。昭和27年(1952年)、村富稲荷と呼ばれていたものを、現社号に改称した。
例祭は8月30日。現在は8月第1日曜日。以前までは「狂い獅子」と呼ばれる獅子舞が行われていたが、明治時代中期に途絶え、現在は不詳。2月上午の日が初午祭。
境内には、立村二百六十年記念碑・神楽殿などがあり、コシノヒガンザクラが植えられている。
神奈川県道507号相武台相模原線の通称である村富線は当社名にちなむもの。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、開拓

【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
[電話]042-756-5952
村富神社(むらとみじんじゃ)は、神奈川県相模原市中央区矢部にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
江戸時代前期の寛文年間(1661年-1672年)に相模屋助右衛門が新田開発祈願のために稲荷神社として創建された。
「矢部原」といわれたこの原野は、甲斐から江戸に通ずる間道で、道のたもとに一円の密林があって、巨松が聳え、鎌倉街道見透の松といわれた。
この古道は鎌倉に向って走り、当地で江戸道と交っていた。 油屋・鍛冶屋・雑貨屋・木銭宿などを設け、延宝元年(1673年)、上矢部新田村が開村する。
江戸時代後期の文化3年(1806年)、獅子頭3体(剣獅子・玉獅子・巻獅子)が制作される。現存しており、現在は市指定有形民俗文化財である。
幕末の慶応2年(1866年)、伏見稲荷大社から改めて勧請する。主神は宇迦之御魂命(倉稲魂命)で、相殿に大己貴命・大宮姫命を祀る。
明治6年(1873年)、村社に列する。昭和17年(1942年)8月、現在地に遷座した。昭和27年(1952年)、村富稲荷と呼ばれていたものを、現社号に改称した。
例祭は8月30日。現在は8月第1日曜日。以前までは「狂い獅子」と呼ばれる獅子舞が行われていたが、明治時代中期に途絶え、現在は不詳。2月上午の日が初午祭。
境内には、立村二百六十年記念碑・神楽殿などがあり、コシノヒガンザクラが植えられている。
神奈川県道507号相武台相模原線の通称である村富線は当社名にちなむもの。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、開拓

【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
コメント