もとの赤城大明神、明治に改めて伊勢を勧請して溝口宿近在の村々の総鎮守に
[住所]神奈川県川崎市高津区溝口2-25-1
[電話]044-822-3776
溝口神社(みぞのくちじんじゃ)は、神奈川県川崎市高津区溝口にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建は不詳。江戸時代は、矢倉沢往還(大山道)の溝口宿近在の村々の総鎮守として、赤城社と称した。当時は毘沙門天と弁財天を祀り、赤城大明神と崇敬された。
天明3年(1783年)2月、再建の棟札が残る。天保12年(1841年)春に社殿が傷んだことから再建工事が開始、翌年8月15日までに工事は完成した。
寛永元年(1848年)8月15日までに拝殿向拝や参道の敷石が完成。寛永5年(1852年)2月に境内の稲荷社が再建された。寛永7年(1854年)10月4日、大地震により鳥居が倒壊。
明治維新後、神仏分離により、溝口村・下宿・中宿・上宿・六軒町・六番組の各部落を統合、総鎮守として祀るべく、新たに伊勢の神宮(伊勢神宮)より御分霊を奉迎した。
御祭神を天照皇大御神とし、現社号に改称、明治6年(1873年)には幣帛共進指定村社に列した。
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災により社殿は全壊した。昭和9年(1934年)11月に氏子達により再建された。
拝殿は銅葺の入母屋造で正面に千鳥破風と唐破風向拝を持つ。拝殿の扁額は東郷平八郎の揮毫による。
境内社に、稲荷社・大鷲神社・松尾大神の他、石祠に安政3年(1857年)の銘がある水神宮がある。
例祭は9月15日に近い土・日曜日。節分祭が2月にあり、豆まきが行われる。11月中の酉の日には酉の市がある。
兼務神社に、高津区の二子神社・御嶽神社・久地神社・久本神社、中原区の新城神社があり、これらの神社の御朱印も対応している。
【ご利益】
開運招福、商売繁盛、厄災除け(公式HP)
【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
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溝口神社(みぞのくちじんじゃ)は、神奈川県川崎市高津区溝口にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建は不詳。江戸時代は、矢倉沢往還(大山道)の溝口宿近在の村々の総鎮守として、赤城社と称した。当時は毘沙門天と弁財天を祀り、赤城大明神と崇敬された。
天明3年(1783年)2月、再建の棟札が残る。天保12年(1841年)春に社殿が傷んだことから再建工事が開始、翌年8月15日までに工事は完成した。
寛永元年(1848年)8月15日までに拝殿向拝や参道の敷石が完成。寛永5年(1852年)2月に境内の稲荷社が再建された。寛永7年(1854年)10月4日、大地震により鳥居が倒壊。
明治維新後、神仏分離により、溝口村・下宿・中宿・上宿・六軒町・六番組の各部落を統合、総鎮守として祀るべく、新たに伊勢の神宮(伊勢神宮)より御分霊を奉迎した。
御祭神を天照皇大御神とし、現社号に改称、明治6年(1873年)には幣帛共進指定村社に列した。
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災により社殿は全壊した。昭和9年(1934年)11月に氏子達により再建された。
拝殿は銅葺の入母屋造で正面に千鳥破風と唐破風向拝を持つ。拝殿の扁額は東郷平八郎の揮毫による。
境内社に、稲荷社・大鷲神社・松尾大神の他、石祠に安政3年(1857年)の銘がある水神宮がある。
例祭は9月15日に近い土・日曜日。節分祭が2月にあり、豆まきが行われる。11月中の酉の日には酉の市がある。
兼務神社に、高津区の二子神社・御嶽神社・久地神社・久本神社、中原区の新城神社があり、これらの神社の御朱印も対応している。
【ご利益】
開運招福、商売繁盛、厄災除け(公式HP)
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