日本武尊ゆかり、役小角が創祀、関東有数の修験道の霊場、3月に火渡り儀式
[住所]神奈川県愛甲郡愛川町八菅山141
[電話]046-286-5484

八菅神社(はすげじんじゃ)は、神奈川県愛甲郡愛川町八菅山にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

中津川に面し、標高225メートルの八菅山(やすげさん)、八菅山いこいの森の近くに鎮座する。

この八菅山は古名を蛇形山(じゃぎょうさん)といった。 昔、日本武尊が坂本(現 中津坂本地区)でこの山を眺め、山容が龍に似ているところから名付けたという。

山中には蛇体の各部分にあたる池の名が今も残っている。

飛鳥時代の大宝3年(703年)、修験道の開祖役小角(役の行者)が日本武尊ほか6神を祀り修法を行った。

その時、八丈八手の玉幡が山中に降臨し、神座の菅の菰から八本の根が生え出たという。そこで山の名を八菅山と呼ぶようになった。

神奈川県神社庁によれば、御祭神は、国常立命伊弉諾尊伊弉冉尊誉田別命金山毘古命大己貴命天忍穂耳命

しかしこれでは上述の日本武尊が含まれない。天忍穂耳命ではなく、日本武尊を加えるのが正しいか。

奈良時代直前の和銅2年(709年)、行基が勅願所として七社権現の寺を建立した。

この八菅山を前にした丹沢山塊一帯は山岳信仰の霊地として修験者(山伏)たちの修業道場として盛んで、関東でも有数の修験道の霊場だった。

別当は光勝寺と言い、七堂伽藍と院・坊50余が存在したという。経塚が多数造営され、その一部は現在でも裏山に遺存している。

そこから発掘された伝世資料を保存するために、現在では宝物館が設立されている。

この連なる山々には幣山、法華峰、経ケ岳、華厳山、法論堂など今も残る名は巡峯の要所であったことを教えている。

明治になり、神仏分離令と修験道禁止により、山内に多数居住していた修験者は還俗し、山麓で帰農した。この際、宝喜院など有力な15の院坊は足立原姓を名乗った。

修験道の伝統は現在、例祭の毎年3月28日に行われる火渡りの儀式「護摩供養火生三昧の修法」に受け継がれている。

八菅山の集落に続く丘陵の海抜100-170メートルの南側斜面から東側斜面にかけて、スダジイ林が発達しており、「八菅神社の社叢林」として、県の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
無病息災、病魔退散、健康長寿
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