平安期創建、武将の崇敬、1月7日の奉射祭と5年に一度の浜降り
[住所]神奈川県小田原市小船669
[電話]0465-43-0093
白髭神社(しらひげじんじゃ)は、神奈川県小田原市小船にある神社。猿田彦命を祀る。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
奈良時代、行基菩薩が東国行脚の際、当地小竹山頂に地蔵堂を建立したという。
平安時代、伊勢の神宮(伊勢神宮)の神官広瀬入道実応が、その地蔵堂に信宿し、白鬚の神の霊夢を感じて、九寸五分の御神像を奉彫し、社殿を造営、元慶元年(877年)9月9日に鎮座祭が行われた。
その後鎌倉時代の初め、現宮司の祖嵯峨源氏松浦四郎入道綱泰が、近江国滋賀郡で白鬚の神夢を悟った。
そして相模国中村郷の当社を訪ね、時の豪族中村公を本願として、社殿・楼門・本地堂などを再建し、中村社の社号と郡中惣社の称号を受けたという。
建久元年(1190年)、源頼朝より神領6町歩が寄進され、以後足利尊氏・北条早雲など武将の尊信が篤かった。
応永23年(1416年)、兵火に罹り社殿を焼失、塔の山に遷ったが、天正18年(1590年)に再度兵火に罹り、現在地に三遷した。
明治6年(1873年)に郷社に列し、明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進神社に指定された。小船・中村原・小竹・羽根尾・明沢の惣鎮守とされる。
例祭は10月10日。5年に一度、浜降り神事が行われる。
毎年1月7日の日の出とともに行われる奉射祭は、五穀豊穣を祈る新年の行事として近郷に広く知られており、古式を伝える神事として市の無形民俗文化財に指定されている。
起源は鎌倉時代より前ともされる古いもので、馬には乗らず、大地に足を下ろした状態で弓により矢が放たれるが、流鏑馬神事の一つとされる。
なお、当社は市内前川の吾妻神社などを兼務している。
【ご利益】
無病息災、五穀豊穣・商売繁盛、厄災除け、交通安全
【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
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白髭神社(しらひげじんじゃ)は、神奈川県小田原市小船にある神社。猿田彦命を祀る。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
奈良時代、行基菩薩が東国行脚の際、当地小竹山頂に地蔵堂を建立したという。
平安時代、伊勢の神宮(伊勢神宮)の神官広瀬入道実応が、その地蔵堂に信宿し、白鬚の神の霊夢を感じて、九寸五分の御神像を奉彫し、社殿を造営、元慶元年(877年)9月9日に鎮座祭が行われた。
その後鎌倉時代の初め、現宮司の祖嵯峨源氏松浦四郎入道綱泰が、近江国滋賀郡で白鬚の神夢を悟った。
そして相模国中村郷の当社を訪ね、時の豪族中村公を本願として、社殿・楼門・本地堂などを再建し、中村社の社号と郡中惣社の称号を受けたという。
建久元年(1190年)、源頼朝より神領6町歩が寄進され、以後足利尊氏・北条早雲など武将の尊信が篤かった。
応永23年(1416年)、兵火に罹り社殿を焼失、塔の山に遷ったが、天正18年(1590年)に再度兵火に罹り、現在地に三遷した。
明治6年(1873年)に郷社に列し、明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進神社に指定された。小船・中村原・小竹・羽根尾・明沢の惣鎮守とされる。
例祭は10月10日。5年に一度、浜降り神事が行われる。
毎年1月7日の日の出とともに行われる奉射祭は、五穀豊穣を祈る新年の行事として近郷に広く知られており、古式を伝える神事として市の無形民俗文化財に指定されている。
起源は鎌倉時代より前ともされる古いもので、馬には乗らず、大地に足を下ろした状態で弓により矢が放たれるが、流鏑馬神事の一つとされる。
なお、当社は市内前川の吾妻神社などを兼務している。
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