源頼義が創祀、源頼朝が再建、稲毛荘の総鎮守、神主家に伝わる禰宜舞
[住所]神奈川県川崎市宮前区平4-6-1
[電話]044-977-5639

白幡八幡大神(しらはたはちまんだいじん)は、神奈川県川崎市宮前区にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、玉依姫命神功皇后応神天皇伊奘再命・事解男命・速玉男命・天照皇太神国常立命倉稲魂命日本武尊天満大神奥津島姫命を配祀する。

平安時代の天喜4年(1056年)、源頼義が勅命を受けて安倍頼時征討の途次、鶴岡八幡宮に参詣し、戦勝を祈願し、鎌倉から10里ごとに幣を立てた。

康平4年(1061年)の凱旋の時にその幣を立てた地に八幡宮を勧請し、当社はその第一であるという。

鎌倉時代の建久3年(1192年)、鎌倉に幕府を開いた源頼朝によって、源栄山八幡宮の名で再建されたと伝えられる。

その後、頼朝の妻北条政子の妹を妻に迎えた稲毛三郎重成が、多摩丘陵にあった広大な稲毛荘を安堵され、桝杉山に枡形城を築城してこの地の領主となり、当社は稲毛荘の総鎮守となった。

戦国時代の天正19年(1591年)、徳川家康より朱印地70石が寄進された。しかし後に社殿を焼失した際、朱印状も烏有に帰し、社領を失ったが、特に3石余を寄せられた。

本殿に鎮座している御神像は、江戸時代中期の享保12年(1727年)に奉彫されたもの。

明治6年(1873年)に郷社に列した。大正3年(1914年)、熊野神社・稲荷神社・五所神社・天満宮・神明神社・厳島神社を合併した。

現在の御社殿は昭和48年(1973年)10月に再建されたもの。例祭は9月第3日曜日。3月初の卯の日には初卯祭がある。

小泉家が神主家。小泉家には、徳川家康が関ヶ原の戦いにあたっての戦勝祈願で、太々神楽を興行させたのを起源とする禰宜舞が伝わる。

7月第3日曜日・9月第3日曜日に奉納され、現在は市の文化財に指定され、市重要習俗技芸指定を受けている。

川崎市宮前区白幡台の地名は、当社にちなむものだが、鎮座地ではない。また、当社は有馬神明神社赤城神社上作延神明神社などを兼務している。

【ご利益】
安産、商売繁盛、方位除け、武運長久・勝運、出世開運など(公式HP
白幡八幡大神 - 源頼義が創祀、源頼朝が再建、稲毛荘の総鎮守、神主家に伝わる禰宜舞
【関連記事】
神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
白幡八幡大神の御朱印