相模国一宮寒川神社御祭神と、首塚・首洗井戸がある源義経を祀る
[住所]神奈川県藤沢市藤沢2-4-7
[電話]0466-22-9210
白旗神社(しらはたじんじゃ)は、神奈川県藤沢市藤沢にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
旧藤沢宿。源義経首洗井戸が近くにある藤沢市の白旗交差点から、国道467号(八王子街道)を北へ300メートル進んだ場所に鎮座する。
創立年代は不詳。白王山般若院荘厳寺を別当とした神社で、相模国一宮の寒川神社の御祭神である寒川比古命を祀り、当社自身も寒川神社と称していたという。
文治5年(1189年)閏4月30日に奥州平泉の衣川館で自害した義経の首級が鎌倉へ送られ、6月13日に腰越で首実検が行われた。
その後、この神社の付近に義経と弁慶の首級が葬られたという伝承とともに源義経首洗井戸や弁慶塚が残され、宝治3年(1249年)に源義経を合祀した。
江戸時代の万治2年(1659年)に成立した『東海道名所記』には、白旗明神として、義経・弁慶の話とともに記載されている。
享保年間(1716年-1735年)に正一位に叙せられ、坂戸町の総鎮守となった。元文年間(1736年-1741年)に荘厳寺が火災で消失し、延享4年(1747年)に当社の隣に移転。
宝暦2年(1752年)に社殿の再建、現社号を称するようになった。宝暦7年(1757年)、神輿を江戸神田の神輿屋六兵衛が作った。
明治8年(1875年)、荘厳寺が神仏分離令により移転した。
寒川比古命と源義経の他、天照皇大神・大国主神・大山祇命・国狭槌命・日本武尊を相殿に祀る。
社殿の真南の方角に源義経首塚跡および源義経首洗井戸があり、その向こうに江島神社が位置する。
室町時代の御伽草子『御曹子島渡』では、義経は鬼の大王の娘と結婚しているが、その娘は実は江の島の弁才天だった。
江島神社に伝わる江戸時代の『江島弁才天縁起絵巻』も、義経を主人公とした『御曹子島渡』の系統の御伽草子となっている。
社殿の真南から東約27.5度の方角に弁慶首塚・八王子権現跡(常光寺裏手)があり、社殿の真南から西約27.5度の方角に那須与一が創建したという伝承がある皇大神宮がある。
昭和59年(1984年)に建立された高さ8メートル、幅6メートルの鳥居は、グラスファイバー製で、日本初。
平成11年(1999年)には源義経鎮霊碑が建立された。腰越で義経の首実検が行われた6月13日に、首級を埋葬したと伝わる藤沢市と胴体を埋葬したと伝わる宮城県栗原市栗駒の判官森御葬礼所の土を合祀した。
また、義経が幼少期に過ごした鞍馬寺の御本尊・毘沙門天を勧請している。京都の大仏師・松本明慶の作で、藤沢七福神の毘沙門天である。
例祭は7月15日-21日で、「白旗まつり」とも。神幸祭では、義経神輿・弁慶神輿の渡御がある。20日・21日には境内に露店が出店する。
農村で勘定を1年にお盆と暮れにしていたのを盆暮勘定と言うが、藤沢宿場時代に湘南地域の商業の中心になっていた当社周辺の農村では、白旗まつりの日を勘定日とし「白旗勘定」と言っていた。
10月28日が秋祭で、市重要無形民俗文化財に指定されている湯立神楽が行われる。11月酉の日には大酉祭・とりの市がある。
江の島弁財天道標が市指定文化財に、寛文5年庚申供養塔が市指定有形民俗文化財。
なお、当社は市内石川の佐波神社、羽鳥の御霊神社などを兼務している。
【ご利益】
厄災除け、方位除け、家内安全、安産、開運招福、交通安全など(公式HP)

【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
[電話]0466-22-9210
白旗神社(しらはたじんじゃ)は、神奈川県藤沢市藤沢にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
旧藤沢宿。源義経首洗井戸が近くにある藤沢市の白旗交差点から、国道467号(八王子街道)を北へ300メートル進んだ場所に鎮座する。
創立年代は不詳。白王山般若院荘厳寺を別当とした神社で、相模国一宮の寒川神社の御祭神である寒川比古命を祀り、当社自身も寒川神社と称していたという。
文治5年(1189年)閏4月30日に奥州平泉の衣川館で自害した義経の首級が鎌倉へ送られ、6月13日に腰越で首実検が行われた。
その後、この神社の付近に義経と弁慶の首級が葬られたという伝承とともに源義経首洗井戸や弁慶塚が残され、宝治3年(1249年)に源義経を合祀した。
江戸時代の万治2年(1659年)に成立した『東海道名所記』には、白旗明神として、義経・弁慶の話とともに記載されている。
享保年間(1716年-1735年)に正一位に叙せられ、坂戸町の総鎮守となった。元文年間(1736年-1741年)に荘厳寺が火災で消失し、延享4年(1747年)に当社の隣に移転。
宝暦2年(1752年)に社殿の再建、現社号を称するようになった。宝暦7年(1757年)、神輿を江戸神田の神輿屋六兵衛が作った。
明治8年(1875年)、荘厳寺が神仏分離令により移転した。
寒川比古命と源義経の他、天照皇大神・大国主神・大山祇命・国狭槌命・日本武尊を相殿に祀る。
社殿の真南の方角に源義経首塚跡および源義経首洗井戸があり、その向こうに江島神社が位置する。
室町時代の御伽草子『御曹子島渡』では、義経は鬼の大王の娘と結婚しているが、その娘は実は江の島の弁才天だった。
江島神社に伝わる江戸時代の『江島弁才天縁起絵巻』も、義経を主人公とした『御曹子島渡』の系統の御伽草子となっている。
社殿の真南から東約27.5度の方角に弁慶首塚・八王子権現跡(常光寺裏手)があり、社殿の真南から西約27.5度の方角に那須与一が創建したという伝承がある皇大神宮がある。
昭和59年(1984年)に建立された高さ8メートル、幅6メートルの鳥居は、グラスファイバー製で、日本初。
平成11年(1999年)には源義経鎮霊碑が建立された。腰越で義経の首実検が行われた6月13日に、首級を埋葬したと伝わる藤沢市と胴体を埋葬したと伝わる宮城県栗原市栗駒の判官森御葬礼所の土を合祀した。
また、義経が幼少期に過ごした鞍馬寺の御本尊・毘沙門天を勧請している。京都の大仏師・松本明慶の作で、藤沢七福神の毘沙門天である。
例祭は7月15日-21日で、「白旗まつり」とも。神幸祭では、義経神輿・弁慶神輿の渡御がある。20日・21日には境内に露店が出店する。
農村で勘定を1年にお盆と暮れにしていたのを盆暮勘定と言うが、藤沢宿場時代に湘南地域の商業の中心になっていた当社周辺の農村では、白旗まつりの日を勘定日とし「白旗勘定」と言っていた。
10月28日が秋祭で、市重要無形民俗文化財に指定されている湯立神楽が行われる。11月酉の日には大酉祭・とりの市がある。
江の島弁財天道標が市指定文化財に、寛文5年庚申供養塔が市指定有形民俗文化財。
なお、当社は市内石川の佐波神社、羽鳥の御霊神社などを兼務している。
【ご利益】
厄災除け、方位除け、家内安全、安産、開運招福、交通安全など(公式HP)

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