滅亡後100年して日本に逃れた百済王族ゆかり、貴重な宝物群と西の正倉院
[住所]宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区神門本村
[電話]0982-59-1134

神門神社(みかどじんじゃ)は、宮崎県東臼杵郡美郷町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

奈良時代の養老2年(718年)の創建と伝えられる。主祭神は、大山祀命と百済国伯智王(禎嘉帝)。

『神門神社縁起』によると、奈良時代中期の天平勝宝8年(756年)、660年に滅亡したはずの百済より政争を逃れたという王族の禎嘉王とその子の福智王が日向の海岸に漂着したという。

やがて禎嘉帝は神門の地に落ち着き、福智王は現在の木城町に住んだ。「益見太郎」または「益シ見ル者」の援助があり、父子はこの地で崇敬され、死後は神として祀られた。

福智王は木城町の比木神社に祀られている。福智王が当社の父に会いに行く「師走まつり」が毎年旧暦12月に行われる。記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に指定されている。

朝鮮の『三国史記』によると、756年は統一新羅・景徳王の時代で、この前後に災害が続き、民が飢えたことが記されている。

日本の『続日本紀』によると、天平宝字3年9月4日(759年)条に、「新羅の人々が帰化を望んで来日し、その船の絶えることがない」などとある。

現在の本殿は、棟札より江戸時代前期の寛文元年(1661年)の建立とされる。自然石の礎石上に建つ七間社流造で、平面は身舎のうち桁行5間・梁間2間を板敷の内陣となっている。国の重要文化財。

古墳時代のもの4面、奈良時代の唐式鏡17面、藤原時代のもの3面、室町時代以降のもの9面の計33面の銅鏡が伝わる。

その中の「唐花六花鏡」は、正倉院の御物、東大寺大仏台座下出土鏡、長屋王邸跡出土鏡、見瀬丸山古墳出土鏡、飛鳥坂田寺跡出土鏡、八代神社香取神宮の鏡などと同范鏡。

他に、6世紀後半の日本製の馬鈴・馬鐸も伝わる。応永8年(1401年)に比丘長存が描いた板絵観音菩薩正体1面があり、県の有形文化財に指定されている。

百済の風習が色濃く伝わるとされる大甕もある。須恵器で、5世紀後半から10世紀頃までに作られた陶器に近い硬質の土器。

先の師走まつりに関連するものとして、当社本殿の天井裏から1003本もの鉾が発見されている。その銘には長禄3年(1457年)、天文9年(1540年)などもみられる。

このように、一つの神社にこれほどの宝物が伝わり、現存することは極めて珍しい例。当社では「西の正倉院」という博物館を建て、これらの宝物を展示している。

また、当社一之鳥居の横には百済の里がある。百済最後の都「扶餘(フヨ)」の王宮跡に建つ客舎をモデルに、本場韓国の職人の手により原寸大で復元したもの。

【ご利益】
諸願成就、地域・家内安全
神門神社 - 滅亡後100年して日本に逃れた百済王族ゆかり、貴重な宝物群と西の正倉院
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