阿波岐原の古社の一つ、一葉の松が生じる奇跡、津波を蹴って救った白兎
[住所]宮崎県宮崎市新別府町前浜1402
[電話]0985-22-4584
一葉稲荷神社(ひとつばいなりじんじゃ、一ッ葉稲荷神社)は、宮崎県宮崎市新別府町前浜にある神社。近代社格では村社。例祭は4月第2日曜日。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社は神代のいわゆる、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(禊祓の聖地)に第12代景行天皇の勅によって創建されたと伝えられている。
主祭神は倉稲魂命。配座に猿田彦命・塩土老翁命・大国主命を祀る。阿波岐原には、江田神社・住吉神社・小戸神社など、当社と同様、古い由緒を持つ神社がある。
平安時代末期の寿永年間(1182年-1184年)に当地に移転・遷座した。この頃より境内松原に一葉の松を生じ、崇敬の念が加えられ、一葉稲荷大明神、一葉住吉大明神とも称せられた。
現在でも普通は葉が2本ある松の葉が、1本しかないという、一葉の松が境内の随所に現存し、これが一葉の地名の由来になった。
御神木を含め、境内の中を探してみると枝の中に一葉の松葉がある。この奇跡を見つけると縁起が良いと言われている。
寛文2年(1662年)、当地周辺で外所地震(西海大地震)が発生。多くの死傷者が出た。当社も津波被害に遭ったが、その時1匹の白兎が現れ、津波を蹴って救ったと伝えられている。
現在、本殿裏には白兎の彫刻があり、災害からの「守り神」と崇められている。ちなみに、この地震により、小戸神社・住吉神社なども現在地に遷座するなどの由緒を共有する。
江戸時代の貞亨年間(1684年-1688年)、やはり一葉の松が生じたとして、上下の崇敬が激増したという。
元禄2年(1689年)、時の延岡城主有馬左衛門尉永純より、御供田高2石、元禄11年(1698年)に幕府は勘定奉行今井九郎右衛門に命じて、御供田高2石をそれぞれ寄進した。
明治になり、村社に列した後、明治39年(1906年)4月28日には神饌幣供進社に指定される。
境内には、恵比寿神社や寿老人、銭洗神社がある。商売繁盛・海上安全・大漁満足、健康長寿、金運向上・みそぎ祓いのご利益がある。
【ご利益】
五穀豊穣・大漁満足・商売繁盛、海上・交通安全、健康長寿(公式HP)

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一葉稲荷神社(ひとつばいなりじんじゃ、一ッ葉稲荷神社)は、宮崎県宮崎市新別府町前浜にある神社。近代社格では村社。例祭は4月第2日曜日。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社は神代のいわゆる、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(禊祓の聖地)に第12代景行天皇の勅によって創建されたと伝えられている。
主祭神は倉稲魂命。配座に猿田彦命・塩土老翁命・大国主命を祀る。阿波岐原には、江田神社・住吉神社・小戸神社など、当社と同様、古い由緒を持つ神社がある。
平安時代末期の寿永年間(1182年-1184年)に当地に移転・遷座した。この頃より境内松原に一葉の松を生じ、崇敬の念が加えられ、一葉稲荷大明神、一葉住吉大明神とも称せられた。
現在でも普通は葉が2本ある松の葉が、1本しかないという、一葉の松が境内の随所に現存し、これが一葉の地名の由来になった。
御神木を含め、境内の中を探してみると枝の中に一葉の松葉がある。この奇跡を見つけると縁起が良いと言われている。
寛文2年(1662年)、当地周辺で外所地震(西海大地震)が発生。多くの死傷者が出た。当社も津波被害に遭ったが、その時1匹の白兎が現れ、津波を蹴って救ったと伝えられている。
現在、本殿裏には白兎の彫刻があり、災害からの「守り神」と崇められている。ちなみに、この地震により、小戸神社・住吉神社なども現在地に遷座するなどの由緒を共有する。
江戸時代の貞亨年間(1684年-1688年)、やはり一葉の松が生じたとして、上下の崇敬が激増したという。
元禄2年(1689年)、時の延岡城主有馬左衛門尉永純より、御供田高2石、元禄11年(1698年)に幕府は勘定奉行今井九郎右衛門に命じて、御供田高2石をそれぞれ寄進した。
明治になり、村社に列した後、明治39年(1906年)4月28日には神饌幣供進社に指定される。
境内には、恵比寿神社や寿老人、銭洗神社がある。商売繁盛・海上安全・大漁満足、健康長寿、金運向上・みそぎ祓いのご利益がある。
【ご利益】
五穀豊穣・大漁満足・商売繁盛、海上・交通安全、健康長寿(公式HP)

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