平将門が信仰し、後裔に崇敬された武神「鷲宮」、酉の市神事
[住所]福島県南相馬市小高区女場明地159
[電話]0244-44-3009

日鷲神社(ひわしじんじゃ)は、福島県南相馬市小高区にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神の天日鷲命は、天孫降臨の際、瓊瓊杵尊に供奉した32柱のうちの1柱で、天太玉命に付き従う神。その御姿は手には弓矢兵杖を帯び大鷲に乗り、先駆けとなって天降ったと伝わる。

往古は下総国(現 千葉県北部)豊田郡沼森村に大形神社という名で鎮座しており、平安時代、平将門が下総国にいた際に篤く信仰し、下記のように祈願したという。
鷲宮は神代より弓矢の神で、鷲は猛々しい鳥である。我が軍が敵国に攻め入れば、天日鷲命は大鷲の姿で現れて旗を導くだろう。我が軍に大利をあらしむれば、我が子孫は永く天日鷲命を守護神と致す
関東地方を平定した後、平将門は天日鷲命の加護への報賽として社殿造営や神田の寄進、酉の神事を行ったという。

鎌倉時代の文治年間(1185年-1190年)、源頼朝はこの下総国の鷲宮(わしのみや)と呼ばれた神を崇敬し、神田や神馬を寄進し、開運を祈願したという。

相馬氏初代当主の相馬師常は頼朝に従い、文治5年(1189年)9月の奥州合戦への参戦の際、遠祖である平将門にならい、鷲宮で戦勝祈願を行った。

師常は頼朝より褒賞として行方郡を賜り、凱旋後は鷲宮を修繕してより篤く崇敬するようになったという。

鎌倉時代末期の元亨3年(1323年)、陸奥相馬家当主である相馬重胤が下総国から行方郡へ移った際、鷲宮は勧請されて原町区太田に祀られた。

南北朝時代の貞治3年(1364年)に現在の鎮座地である小高区女場へと遷座。勧請された当時は従来通り鷲宮と呼ばれていたが、明治5年(1872年)に現社名に改称した。

「酉の市神事」という神事があり、神社から小さな細杷(こまざらい、熊手)をいただいて幸運を祈るもの。

細杷は「意のごとく家財・金銀財宝や山海の獲物をかき集める」という意味で授与され、今でも商家にその習慣が残っている。

また、11月初めての酉の日に行われる神事に早芋頭(はたいもがしら)を商ったという。早芋頭を買うことは、戦時において敵の首を捕ることにならうという。

参道の石段は、文政12年(1829年)に当時の神官である西山政友が自力で造営したもので、一の石段と三の石段は当時のもの。なお、現在の宮司社家も西山家である。

境内社として、子安神社(木之花咲耶姫命)、山津見神社(大山祇神)、養蚕神社(和産霊神保食神)、道祖神が鎮座している。

道祖神石碑の隣には女陰石(ほといし)が安置されている。女陰の形に似ていることからの命名で、道祖神として信仰されており、子孫繁栄・夫婦円満の象徴とされている。

【ご利益】
武運長久、商売繁盛、財運、安産
日鷲神社(南相馬市) - 平将門が信仰し、後裔に崇敬された武神「鷲宮」、酉の市神事
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