陸奥会津藩初代藩主である保科正之の墓所に創建された、磐椅神社の末社
[住所]福島県耶麻郡猪苗代町見祢山1
[電話]0242-62-2048

土津神社(はにつじんじゃ)は、福島県耶麻郡猪苗代町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

陸奥会津藩初代藩主保科正之を祀る。延宝3年(1675年)、磐梯山麓見祢山の地に葬られた保科正之の墓所に造営された。

古来の正式に則った神殿造で、日光東照宮と比較されるほどの絢爛豪華な建物だったという。

「土津」(はにつ)という名称は、寛文11年(1671年)に正之が吉川惟足より吉川神道の奥義を授けられた際、「土津」の霊神号を送られたことに由来する。

翌寛文12年12月18日(1673年2月4日)に正之が死去すると、遺言通り見祢山の麓・磐椅神社の西方に葬られた。

正之は生前、死後は磐梯山の神を祀る磐椅神社の末社となって永遠に神に奉仕したいと望んでいたという。

その遺志の通り、当社は磐椅神社の末社でもある。現実的に、当社の運営には土田堰が築かれ、新田が開発された。また、土町と呼ばれる当社守護のための集落も設けられた。

現在、土田堰は、江戸時代と同様に磐梯山南麓一帯の水田を潤し、また、土町は民宿街として多くの観光客で賑わっている。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争時、母成峠の戦いで会津藩が敗れた後、猪苗代城代高橋権大夫の命で当社には火が放たれ、全焼した。

その後、会津藩が斗南藩(現 青森県下北半島)に移封されると、当社の御神体も斗南藩に遷された。明治4年(1871年)の廃藩置県によって斗南藩が廃されると、御神体は猪苗代へ戻り、磐椅神社に祀られた。

明治7年(1874年)から土津神社の再建が始まり、明治13年(1880年)に完成し、御神体が遷されて現在に至っている。

昭和62年(1987年)5月12日、会津若松市東山町と耶麻郡猪苗代町に所在する「会津藩主松平家墓所」が国の史跡に指定された。当社のいわゆる「奥の院」である。太刀 銘吉房が国の重要文化財に指定されている。

境内には、山崎闇斎の撰文で正之の治績を刻んだ高さ7.3メートルの土津霊神之碑がある。絹本著色土津神社霊神画像、奥の院、太刀(銘陸奥大掾 三善長道)、太刀・刀6口とともに県指定文化財。

例祭は5月3日が春季大祭、9月21日が秋季大祭。10月末日にもみじ祭りがあり、紅葉の名所としても知られている。12月18日に御祥忌祭がある。

【ご利益】
諸願成就、文武両道、学業・受験合格
土津神社 - 陸奥会津藩初代藩主である保科正之の墓所に創建された、磐椅神社の末社
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土津神社の御朱印