元禄期の社殿が多数残る重要文化財の宝庫、特殊料理「いもずいも」
[住所]福島県相馬市坪田涼ケ岡51
[電話]0244-36-4342
涼ケ岡八幡神社(すずみがおかはちまんじんじゃ)は、福島県相馬市にある神社。近代社格では郷社。正式には八幡神社のみ。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、現在の鎮座地には、平安時代の大同年間(806年-810年)に建てられた「若宮八幡」という古い祠があった。
南北朝時代の元弘3年(1333年)、北畠顕家が後醍醐天皇により陸奥守を任じられ、建武2年(1335年)、その配下である白河城主の結城宗広(白川道忠)に宇多郷が与えられた。
宗広はかねてから信仰する八幡社を宇多郡にも建立したいと思い、良い場所を探していたところ、熊野堂の館(現 相馬市中野地区清水)の南に「若宮八幡」という祠があった。
そこは古樹が繁茂し、奥深く静かな土地であったため、ここに八幡宮を建立し、若宮八幡の祠を摂社とした。御祭神は誉田別命・帯中彦命・息長足姫命。
天文年間(1532年-1555年)になり、この地が相馬氏の所領になった後は代々崇敬され、相馬中村藩の鎮守社として、祭典や社殿の修繕費用は全て藩費で賄われた。
元禄7年(1694年)、特に当社を崇敬していた相馬中村藩5代藩主相馬昌胤は新しい宮殿の造営や境内整備を行う。
元禄8年(1695年)に完成した総ケヤキ材を用いて造営された宮殿は、近郷でも群を抜く壮美なものであったため、「相馬日光」と称された。
この際の拝殿・幣殿・本殿(1棟)や随神門(1棟)が現存する。本殿には二重虹梁大瓶束の妻飾があり、外壁3面の胴羽目には「桔梗唐草」の彫刻がなされている。
昌胤の造営後は社号を「八正宮」と称したが、明治維新後に八幡神社に改称。明治6年(1873年)には宇多郡25ヶ村の郷社となった。
境内社の若宮八幡宮は、当社創建のきっかけとなった小祠で、元禄8年の社殿が残る(1棟)。御祭神は、若宮(中座)が仁徳天皇、上高良が武内宿禰、下高良が高良玉垂命(藤大臣連保)。
拝殿西側に鎮座する亀齢社は、相馬中村藩8代藩主の相馬恕胤を祀る。やはり、元禄8年完成の社殿(1棟)。
住吉神社(住吉三神)・粟島神社(少彦名命)・貴布根神社(高龗神)も元禄8年に建立されたもので、当初は三社とも別棟であったが、天保13年(1843年)に一間社流造の社殿にまとめられた(附)。
多珂神社(伊邪那岐命)・足尾神社(猿田彦命)は、元禄8年に八幡宮の別当寺であった八幡寺の僧である専海により建立された(附)。
稲荷神社は、保食神(宇気母智神)を祀る。元禄8年に大宮司であった田代左京進賢信により勧請された(附)。
以上、「八幡神社 4棟」として国の重要文化財で、末社群も3件、附指定されている。
他に、富士神社や體興霊神がある。また、宗広が出陣時に八幡宮に祈願し戦勝した後に弓矢と旗を埋めたという「矢旗塚」がある。
また、2本の榧が幹の途中でつながっている「縁結びの榧(カヤ)」、樹齢800年の御神木の「夫婦杉」(市指定天然記念物)、絵馬殿、社務所兼福島県神社庁相馬支部がある。
9月第3金曜日と土曜日には宵祭りと秋の例大祭が催行される。その時に「いもずいも」という料理がふるまわれる。
「いもずいも」とは、芋の吸い物の意味で、無病息災祈願の意味や「八幡のいもずいもを食べると野暮が抜ける」と言い伝えられているという。
また、里芋などが入った料理を食べながら議論し、すりあわせて良い案を出したことや、里芋どうしをすりあわせて皮を剥いたことから、食べると「一皮むけて良い知恵が出るようになる、頭が良くなる」という。
【ご利益】
平穏安寧、武運長久・勝運、厄災除け、病気平癒、家内安全、安産など(公式HP)
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・福島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福島県に鎮座している神社の一覧
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涼ケ岡八幡神社(すずみがおかはちまんじんじゃ)は、福島県相馬市にある神社。近代社格では郷社。正式には八幡神社のみ。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、現在の鎮座地には、平安時代の大同年間(806年-810年)に建てられた「若宮八幡」という古い祠があった。
南北朝時代の元弘3年(1333年)、北畠顕家が後醍醐天皇により陸奥守を任じられ、建武2年(1335年)、その配下である白河城主の結城宗広(白川道忠)に宇多郷が与えられた。
宗広はかねてから信仰する八幡社を宇多郡にも建立したいと思い、良い場所を探していたところ、熊野堂の館(現 相馬市中野地区清水)の南に「若宮八幡」という祠があった。
そこは古樹が繁茂し、奥深く静かな土地であったため、ここに八幡宮を建立し、若宮八幡の祠を摂社とした。御祭神は誉田別命・帯中彦命・息長足姫命。
天文年間(1532年-1555年)になり、この地が相馬氏の所領になった後は代々崇敬され、相馬中村藩の鎮守社として、祭典や社殿の修繕費用は全て藩費で賄われた。
元禄7年(1694年)、特に当社を崇敬していた相馬中村藩5代藩主相馬昌胤は新しい宮殿の造営や境内整備を行う。
元禄8年(1695年)に完成した総ケヤキ材を用いて造営された宮殿は、近郷でも群を抜く壮美なものであったため、「相馬日光」と称された。
この際の拝殿・幣殿・本殿(1棟)や随神門(1棟)が現存する。本殿には二重虹梁大瓶束の妻飾があり、外壁3面の胴羽目には「桔梗唐草」の彫刻がなされている。
昌胤の造営後は社号を「八正宮」と称したが、明治維新後に八幡神社に改称。明治6年(1873年)には宇多郡25ヶ村の郷社となった。
境内社の若宮八幡宮は、当社創建のきっかけとなった小祠で、元禄8年の社殿が残る(1棟)。御祭神は、若宮(中座)が仁徳天皇、上高良が武内宿禰、下高良が高良玉垂命(藤大臣連保)。
拝殿西側に鎮座する亀齢社は、相馬中村藩8代藩主の相馬恕胤を祀る。やはり、元禄8年完成の社殿(1棟)。
住吉神社(住吉三神)・粟島神社(少彦名命)・貴布根神社(高龗神)も元禄8年に建立されたもので、当初は三社とも別棟であったが、天保13年(1843年)に一間社流造の社殿にまとめられた(附)。
多珂神社(伊邪那岐命)・足尾神社(猿田彦命)は、元禄8年に八幡宮の別当寺であった八幡寺の僧である専海により建立された(附)。
稲荷神社は、保食神(宇気母智神)を祀る。元禄8年に大宮司であった田代左京進賢信により勧請された(附)。
以上、「八幡神社 4棟」として国の重要文化財で、末社群も3件、附指定されている。
他に、富士神社や體興霊神がある。また、宗広が出陣時に八幡宮に祈願し戦勝した後に弓矢と旗を埋めたという「矢旗塚」がある。
また、2本の榧が幹の途中でつながっている「縁結びの榧(カヤ)」、樹齢800年の御神木の「夫婦杉」(市指定天然記念物)、絵馬殿、社務所兼福島県神社庁相馬支部がある。
9月第3金曜日と土曜日には宵祭りと秋の例大祭が催行される。その時に「いもずいも」という料理がふるまわれる。
「いもずいも」とは、芋の吸い物の意味で、無病息災祈願の意味や「八幡のいもずいもを食べると野暮が抜ける」と言い伝えられているという。
また、里芋などが入った料理を食べながら議論し、すりあわせて良い案を出したことや、里芋どうしをすりあわせて皮を剥いたことから、食べると「一皮むけて良い知恵が出るようになる、頭が良くなる」という。
【ご利益】
平穏安寧、武運長久・勝運、厄災除け、病気平癒、家内安全、安産など(公式HP)
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