子が死んだという噂を聞いて沼に入水した母、子は帰京して即位
[住所]福島県福島市松川町浅川字木戸前1
[電話]024-548-7366

黒沼神社(くろぬまじんじゃ)は、福島県福島市松川町浅川にある神社。『延喜式神名帳』にある「黒沼神社(陸奥国・信夫郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

浅川黒沼神社とも。通称は明神様。創建年代は不詳。主祭神は渟仲倉太珠敷命・石姫命で、申田彦大神を配祀する。

第29代欽明天皇の皇子である渟仲倉太珠敷命が、東国の不穏を鎮めるため、当地へ行幸し、信夫湖に住む大熊を退治したが、疲労困憊し崩御したと噂が流れた。

当地まで皇子を追いかけてきていた母の石姫は、それを聞いて嘆きのあまり、当地の黒沼に身を投げたという。

供奉の健夜依米主従の4人は嘆いて黒沼・赤沼を巡見。古浅川の自現明神のお告げにより、大岩を切り開き、黒沼・赤沼の水を大熊川に抜き、干潟となして石姫を埋めたという。

後に、欽明天皇の奉聞および地名にちなんで、黒沼大明神として祀ったという。一方、皇子の渟仲倉太珠敷命は征伐の後帰京して、第30代敏達天皇となったという。

式内社「黒沼神社」の論社は他に、御山堂殿の信夫山南麓と、松川町金沢にそれぞれ同名の神社がある。

いずれも渟仲倉太珠敷命=敏達天皇に関わる伝承を残し、信夫山なども含め、やはり敏達天皇伝承が残るが、当社の熊に対して、金沢では蟹だったり、微妙に違っていて興味深い。

また、渟仲倉太珠敷命が帰京して即位する、ということを明確に伝えているのは当社の伝承だけかもしれない。

安土桃山時代の天正10年(1582年)に本殿が造営された記録が残る。しかし、江戸時代中期の享保6年(1721年)3月に火災で焼失、その後現在地に遷座したという。

当初の鎮座地は不詳だが、伝承から考えても黒沼湖畔の可能性が高いか。元文2年(1737年)8月11日には正一位の神階が与えられている。

例祭は4月2日で、春季例大祭。神輿渡御があるが、町中を渡御するのではなく、道なき道、小さいながらも坂道を行ったりと、「無茶すぎるコース」として話題になることも。

社殿の右手には、小さな石碑がずらりと並ぶ。天照皇大神豊受姫大神・飯豊山・申田彦大神などが祀られている。境内には他に、御霊社・金剛山があるという。

【ご利益】
諸願成就、武運長久・勝運、身体壮健
黒沼神社(浅川) - 子が死んだという噂を聞いて沼に入水した母、子は帰京して即位
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