神代の伝承に由来する特殊神事「鎮火祭」が有名な、鹿島大神苗裔の一社
[住所]福島県南相馬市鹿島区鹿島町143
[電話]0244-46-2373

鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)は、福島県南相馬市鹿島区鹿島町にある神社。『延喜式神名帳』にある「鹿島御子神社(陸奥国・行方郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、武甕槌命の御子神である天足別命(あまたりわけのみこと・あまたらしわけのみこと)と、志那都比古命・志那都比売命。

神代に、天足別命が、父神である武甕槌神と、経津主神とその御子神である阿佐比古命とともに、奥州の邪気(邪鬼)を平定するために降臨したという伝承を持ち、『日本三代実録』にある「鹿島大神苗裔を祀る陸奥国の三十八の神社」の行方郡の一社。

当社の由緒書によると、天足別命は奥州平定後は当地へ残り、社殿を設けて鎮座したという。

石巻市に同音でよく似た社名の鹿島御児神社があるが、別の神社。宮城県にも亘理町に鹿島天足和気神社、富谷町に鹿島天足別神社などがある。

第12代景行天皇の時代、日本武尊が東征での武運長久を祈願したところ霊験があり、反抗する賊徒たちを無事平定することができた。そのため、軍神として武人から特に崇敬を集めるようになった。

往古は現在の鎮座地から南へ200メートルほどの場所に社殿があったが、平安時代の大同元年(806年)に現在地へ遷座した。

現在も往古の鎮座地には「鹿島御子神社旧蹟」の石標が立てられている。神官や社僧も多く、神領17石を有し、鹿島神宮からも毎年奉幣を受ける地位にあった。

延喜5年(905年)、軍神・鎮火の神・医術の神として霊験があった。時の醍醐天皇も自ら武運長久を祈願し、御神体を奉納したという。

歴史書『奥相志』によれば、御神体は「衣冠の騎馬像」であるという。

寛永13年(1635年)には、当社を尊崇していた相馬義胤により、社殿の補修・祭典費の供進・神地の献納が行われた。

それ以降も、明治維新まで歴代の相馬藩主により篤く崇敬され続けた。明治9年(1876年)11年に郷社に列し、大正15年(1926年)に幣帛供進使参向指定社となった。

特殊神事として、「鎮火祭」がある。天足別命と賊徒「大六天魔王」との死闘に由来する。毎年1月に行われる。

1月14日が「火伏祭」で、午後6時に法被姿の若者たちが町の大通りの民家一軒一軒に「火伏せー、火伏せー」と唱えながら神霊の宿る御神水をかけて走り抜ける。

翌1月15日早朝が「天燈籠祭」で、御神歌や神楽の奉納が行われ、天燈籠を掲げて旧社地で神事が催行される。

旧社地からの帰り道、神職は沿道の氏子たちから浄水をかけられる。その後、神官は冬の寒さで衣冠が氷結したまま社殿へ戻り、天下の罪穢を祓い清め、一年の火伏せの祈願と氏子崇敬者の諸祈願を行う。

13年に一度、寅年に遷宮祭がある。神輿渡御の他、小池の獅子、鹿島神楽、小島田神楽、北屋形神楽、右田神楽、下町手踊りなど諸芸が奉納される。

境内には拝殿・幣殿・本殿の社殿の他、要石がある。大鯰(ナマズ)を押さえるといわれるもので、父が鎮座する鹿島神宮や、その盟友である経津主神が鎮座する香取神宮にもある。

また、「夫婦欅」と呼ばれる大欅が2本あり、樹齢300年以上、樹齢1000年といわれることもある。「福島県みどりの文化財」に指定されている。

境内社として、雷神社、足尾神社がある。足尾神社は御祭神不明ながら、道先案内の神で、足の病を持つ人が靴や草履を奉納して平癒祈願するという。

その他に、土木工事業者・建築業者から崇敬されている聖徳太子石祠(聖徳太子)がある。

【ご利益】
武運長久・勝運、防火、病気平癒
鹿島御子神社 - 神代の伝承に由来する特殊神事「鎮火祭」が有名な、鹿島大神苗裔の一社
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鹿島御子神社の御朱印