神武天皇が東遷の船出をした「美々津」の地、景行期の創建、8メートルの巨石
[住所]宮崎県日向市美々津3419
[電話]0982-58-1638

立磐神社(たていわじんじゃ)は、宮崎県日向市美々津にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

皇子原の地(皇子原神社)で生まれ、狭野の地(狭野神社)で幼少を過ごし、15歳にして立太子された神武天皇は、宮崎の地(宮崎神宮皇宮神社)に居を移し、45歳にして東遷を決意する。

美々津は神武天皇が東遷の際、船出した地といわれている。当社境内には今も神武天皇御腰掛岩がある。ちなみに、『古事記』には神武天皇の船出に関する詳細な記述はない(『古事記』該当部分)。

この時航海の安全を祈念し、この埠頭に海上守護神である底筒男命中筒男命表筒男命住吉三神を奉斎したと伝える。

後に、第12代景行天皇の御代に、当社が創祀された。御祭神は、住吉三神と、神武天皇。

記録によれば、永禄年間(1558年-1570年)まで当地領主などの崇敬もあり、祭礼神事行事も整い、強盛だったが、天正6年(1578年)、大友氏との耳川の合戦で戦火に罹った。

江戸時代になり、順次復興したようで、棟札によれば元和6年(1623年)、寛文8年(1668年)、宝永2年(1705年)、享保9年(1728年)、享和9年(1903年)に再興された。

高鍋藩秋月氏の崇敬も厚く、貞享3年(1686年)の「高鍋藩寺社帳」によれば、神領7石5斗を有し、その後も神事あるごとに寄進を受けた。

往古より立磐権現あるいは立磐大明神と称したが、明治初年に現社号に改称し、明治4年(1871年)に郷社に列し、明治40年(1907年)2月、神饌幣帛料供進社に指定された。

昭和9年(1934年)の神武天皇東遷二千六百年記念事業として、境内の拡張、社殿の修築が行われ、記念碑が建立された。

また、竜神バエの岩上に住吉灯籠を摸したる神のみあかし灯台が設置された。

昭和15年(1940年)、東行巡路漕舟大行軍が挙行された。神武天皇ご東遷の際に使用した船を新造し、「おきよ丸」と命名して、日向国の青年150名が漕舟し、美々津を出港。

途中神武天皇が寄港したという由緒あるところに寄港しながら、大阪に上陸し、御楯を捧持して、陸路橿原神宮に奉納した。

昭和17年(1942年)、境内に、時の内閣総理大臣であった海軍大将米内光政の揮毫による「日本海軍発祥の地」の記念碑が建立された。

本殿後の柱状摂理に社名ともなった立磐という巨石がある。高さ8メートル、周囲15メートル。神武天皇に東遷を勧めた塩土翁が祀ってあったという。

ここでは、塩土翁と住吉三神が同一視されているが、『古事記』において塩土翁は、神武天皇の祖父にあたる山幸彦を竜宮城に導く役割として登場する。

なお、宮崎市塩路には、住吉三神が誕生したとされる地に、住吉神社がある。

【ご利益】
水難除け、海上・交通安全、武運長久・勝運
立磐神社 - 神武天皇が東遷の船出をした「美々津」の地、景行期の創建、8メートルの巨石
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