もとの石楯尾神社、鎌倉期から諏訪社に、江戸期の御神像や奉納額
[住所]神奈川県大和市下鶴間2540
[電話]046-274-7738

諏訪神社(すわじんじゃ)は、神奈川県大和市下鶴間にある神社。下鶴間諏訪神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 相模国 高座郡「石楯尾神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創立は不詳。古来より式内社「石楯尾神社」と伝えられている。もともとは現在地の東方約150メートルほど、目黒川をはさんで水田の中にあったという。

昭和まで、その地には宮田塚と呼ばれる小さな石の祠があったが、開発により移転した。

鎌倉時代中期に諏訪社として祀られた。現在に至るまで、御祭神は建御名方神。江戸時代になり、延宝8年(1680年)再建の棟札がある。

また、元禄6年(1693年)6月に領主江原氏の代官である井沢喜兵衛、同じく都筑氏の代官である瀬沼伝右衛門が現在地を寄進、御神体を本殿に奉安した。

この御神体の像と思われるものが現存し、製作年代は不明ながら、江戸期の特徴を備えるもので、「諏訪神社御神像」として、市の重要文化財に指定されている。

宝永8年(1710年)6月再建、安永7年(1778年)再建の棟札も現存する。安政5年(1858年)11月6日、社殿完成間近に土人の失火によりことごとく焼失したという。

やはり「諏訪神社北辰一刀流奉納額」が市の重要文化財に指定されている。

江戸時代後期に成立した剣道の四つの新興流派、北辰一刀流・鏡心明智流・無刀流・天然理心流の分布が、額面に記載された奉納関係者一覧によって把握することができるもの。

明治2年(1869年)の神仏分離令により、別当の観音寺から離れ、明治5年(1872年)には社殿を再建、遷宮祭が行われた。

明治30年(1897年)の秋期大演習の際、伏見宮貞愛親王殿下が参拝。大正12年(1923年)の関東大震災により大被害を受けたが、昭和4年(1929年)に復旧工事が完了する。

昭和9年(1934年)9月、朝香宮鳩彦王殿下が演習統監のため当地を通過した際に参拝。昭和15年(1940年)には村社に列し、現社名に改称する。

例祭は9月。その近辺の週末に余興として、神輿渡御などが盛大に行われる。1月14日には左義長祭(どんど焼き)がある。

末社に天王稲荷合社(宇迦之御魂神)、八坂神社(須佐之男命)、秋葉・古峯合社があり、境外に日枝神社(山王大権現)、伊勢社(和光神明宮)がある。

なお、式内社「石楯尾神社」の論社は多くあり、他に、相模原市緑区の名倉佐野川相模原市南区に同名の神社があり、相模原市緑区大島座間市入谷の諏訪明神、藤沢市の鵠沼皇大神宮の境内社が式内論社とされる。

【ご利益】
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諏訪神社(大和市) - もとの石楯尾神社、鎌倉期から諏訪社に、江戸期の御神像や奉納額
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