大和国葛城ゆかりの人々が往古に伊勢原に移住して祖神を奉斎、相模式内論社
[住所]神奈川県伊勢原市高森527
[電話]0463-93-8208
高森神社(たかもりじんじゃ)は、神奈川県伊勢原市高森にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 相模国 大住郡「高部屋神社」に比定される式内社(小社)の論社。
創建は不詳。御祭神は味須岐高彦根命。当社では、おそらく古い時代、大和国葛城にゆかりのある人々がこの地に来て開拓、農耕殖産の道を教えた。
その際、五穀豊穣を願い、郷里にちなみ、心のよりどころとして、この高森あるいは高部屋の地に社を建て、祖神を奉斎したという。
葛城には、高鴨神社、高天彦神社など加茂族ゆかりの古い名社があり、高天・高丘・高宮・高市など「高」の字のつく神名や地名が多いことから、当地でも当社御祭神にちなみ当地名ができたという。
当社は、明治初年までは高部屋神社とも称していた。棟木に高部屋神社とあり、鳥居脇の石碑にもそのように刻まれている。
また、江戸時代には「七社権現」とも称していたという。明治初年に現社号に改称。
本殿は、高梨家の先祖が、戦国時代末期に改築したが、その後に焼失したため、江戸時代の享保元年(1716年)に現本殿が建てられたという。
旧幣殿、拝殿、神饌所については、老朽、雨漏り腐食がひどく、危険だったため、昭和53年(1978年)5月15日に改築竣工した。
元禄9年(1696年)に鋳造された鐘は、祈願鐘として永く氏子に親しまれたが、昭和16年(1941年)に戦争のために供出。昭和53年4月9日に平和の鐘として復元された。
平成21年(2009年)2月3日未明、不審火により焼失した。平成23年(2011年)までに復興事業を完成させ、再度整備されている。
例祭は4月第2日曜日。
末社に八坂神社がある。御祭神は素盞鳴命。北高森・前高森・小金塚の三高森の守護神として、「天王さん」と親しまれ、「疱瘡神」「疫病神」として崇められた。例祭は7月第2日曜日。
当社境内から西の方角の小高き山の頂上には吾妻神社がある。御祭神は弟橘媛命。毎年7月第2日曜日には、氏子による草刈が執り行われる。
なお、式内社「高部屋神社」の論社は他に、伊勢原市下糟屋の高部屋神社がある。
【ご利益】
家内安全、五穀豊穣(公式HP)
【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
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高森神社(たかもりじんじゃ)は、神奈川県伊勢原市高森にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 相模国 大住郡「高部屋神社」に比定される式内社(小社)の論社。
創建は不詳。御祭神は味須岐高彦根命。当社では、おそらく古い時代、大和国葛城にゆかりのある人々がこの地に来て開拓、農耕殖産の道を教えた。
その際、五穀豊穣を願い、郷里にちなみ、心のよりどころとして、この高森あるいは高部屋の地に社を建て、祖神を奉斎したという。
葛城には、高鴨神社、高天彦神社など加茂族ゆかりの古い名社があり、高天・高丘・高宮・高市など「高」の字のつく神名や地名が多いことから、当地でも当社御祭神にちなみ当地名ができたという。
当社は、明治初年までは高部屋神社とも称していた。棟木に高部屋神社とあり、鳥居脇の石碑にもそのように刻まれている。
また、江戸時代には「七社権現」とも称していたという。明治初年に現社号に改称。
本殿は、高梨家の先祖が、戦国時代末期に改築したが、その後に焼失したため、江戸時代の享保元年(1716年)に現本殿が建てられたという。
旧幣殿、拝殿、神饌所については、老朽、雨漏り腐食がひどく、危険だったため、昭和53年(1978年)5月15日に改築竣工した。
元禄9年(1696年)に鋳造された鐘は、祈願鐘として永く氏子に親しまれたが、昭和16年(1941年)に戦争のために供出。昭和53年4月9日に平和の鐘として復元された。
平成21年(2009年)2月3日未明、不審火により焼失した。平成23年(2011年)までに復興事業を完成させ、再度整備されている。
例祭は4月第2日曜日。
末社に八坂神社がある。御祭神は素盞鳴命。北高森・前高森・小金塚の三高森の守護神として、「天王さん」と親しまれ、「疱瘡神」「疫病神」として崇められた。例祭は7月第2日曜日。
当社境内から西の方角の小高き山の頂上には吾妻神社がある。御祭神は弟橘媛命。毎年7月第2日曜日には、氏子による草刈が執り行われる。
なお、式内社「高部屋神社」の論社は他に、伊勢原市下糟屋の高部屋神社がある。
【ご利益】
家内安全、五穀豊穣(公式HP)
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