相模国土甘郷総社「石楯尾神社」に建立された烏森神社、8月祭りに山車
[住所]神奈川県藤沢市鵠沼神明2-11-5
[電話]0466-24-5590
鵠沼皇大神宮(くげぬまこうだいじんぐう)は、神奈川県藤沢市鵠沼神明にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
正式には、皇大神宮のみ。通称は烏森神社。神明神社の一つである。
御祭神は、天照皇大神・天児屋根命・天手力男命・天太玉命・天宇受売命・石凝刀売命。石楯尾大神・八幡大神・春日大神を合祀する。
平安時代初期の大同3年(808年)、現在地に『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 相模国 高座郡「石楯尾神社(小社)」が創建されたという。
天長9年(832年)には、その地に烏森神社の社殿が建立された。第60代醍醐天皇(在位:897年-930年)の頃、土甘郷の総社に列せられ相模国土甘郷総社神明宮と称した 。
天喜(1046年-1057年)には八幡太郎源義家が、奥州鎮撫の途次に祈願奉幣した。天喜3年(1055年)に社殿を再建。
長治元年(1104年)、鎌倉景政が所領の大庭荘を伊勢の神宮(伊勢神宮)に御厨として寄進したので、大庭荘が大庭御厨と呼ばれるようになり、その総鎮守となった。現社号への定着もこの頃とされる。
鎌倉時代になると、『吾妻鏡』にも記載され、鶴岡八幡宮の御神体の仮殿への引越しや、那須与一宗高が屋島で扇の的を射た弓一張と残の矢を奉納したという。
その後、正和2年(1313年)、元亨2年(1322年)、天正13年(1585年)に社殿の再建が行われ、その間、天正2年(1574年)には石楯尾神社が再建されたという。
江戸時代になり、延享年間(1744年-1747年)、盗難により伝承の古記録などを失った。文化6年(1809年)6月には宮ノ前が幟を奉納し、現在の例大祭で社前に幟を立てるようになった契機となった。
明治6年(1873年)12月、村社に列する。明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進神社に指定された。
例祭は8月17日。前日の16日が宵宮祭で、宵宮の祭り囃子が行われ、当日は山車まつりとして、民俗芸能風流山車が参進する。
9台の人形山車が勢揃いするのは県随一で、風流山車は「かながわの民俗芸能50選」に、祭り自体は「かながわのまつり50選」に選定されている。
他にも、鎌倉神楽・湯華神楽神事が行われる。「鵠沼のいっとき祭」と呼ばれるほど、短い時間内に行われる。
樹齢数百年にもなるタブノキ、ケヤキなどが境内奥に残り、鎮守の森を形成している。カラスが多く生息していたことから「烏森」と呼ばれたという。
合祀社として、御嶽神社(国常立命・国狭槌尊・豊斟渟尊)、秋葉神社(火産靈神)がある。
境内社に、式内論社の石楯尾神社 (石楯尾神)、伊勢ノ宮(伊弉諾尊・伊弉冉尊)・稲荷神社(宇迦之御魂神)・石ノ神社(経津主神・武甕槌神)・豊受稲荷神社(宇迦之御魂神)・山王社(大山祇神)・恵比須の宮(八重事代主神・大國主神)・登由介神社(豐宇氣毘賣神) 厳島神社(市杵島姫命)・御霊神社(鎌倉権五郎景政)・水神社(水波能売命)がある。
恵比須の宮は、毎年正月行われる藤沢市観光協会主催の「藤沢七福神めぐりスタンプラリー」のポイントになっている。
兼務神社として、稲荷神社・八坂神社・神明社(城南)、上村稲荷社(鵠沼神明)、賀来神社(鵠沼藤が谷)、大庭神社(稲荷)、稲荷神社・熊野神社・神明社・熊野神社・市杵島神社(大庭)、諏訪神社・八松稲荷神社・八幡神社・白山神社・日枝神社・社宮神・子ノ神社(辻堂元町)、天神社(天神町)、八幡宮(湘南台。別名:円行八幡宮)がある。
なお、式内社「石楯尾神社」の論社は多く、相模原市緑区名倉と相模原市緑区佐野川、相模原市南区に式内社と同名の神社があり、他にも大和市の諏訪神社、相模原市緑区大島と座間市入谷の諏訪明神が式内論社とされる。
【ご利益】
開運招福、五穀豊穣・商売繁盛、家内安全(公式HP)

【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
[電話]0466-24-5590
鵠沼皇大神宮(くげぬまこうだいじんぐう)は、神奈川県藤沢市鵠沼神明にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
正式には、皇大神宮のみ。通称は烏森神社。神明神社の一つである。
御祭神は、天照皇大神・天児屋根命・天手力男命・天太玉命・天宇受売命・石凝刀売命。石楯尾大神・八幡大神・春日大神を合祀する。
平安時代初期の大同3年(808年)、現在地に『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 相模国 高座郡「石楯尾神社(小社)」が創建されたという。
天長9年(832年)には、その地に烏森神社の社殿が建立された。第60代醍醐天皇(在位:897年-930年)の頃、土甘郷の総社に列せられ相模国土甘郷総社神明宮と称した 。
天喜(1046年-1057年)には八幡太郎源義家が、奥州鎮撫の途次に祈願奉幣した。天喜3年(1055年)に社殿を再建。
長治元年(1104年)、鎌倉景政が所領の大庭荘を伊勢の神宮(伊勢神宮)に御厨として寄進したので、大庭荘が大庭御厨と呼ばれるようになり、その総鎮守となった。現社号への定着もこの頃とされる。
鎌倉時代になると、『吾妻鏡』にも記載され、鶴岡八幡宮の御神体の仮殿への引越しや、那須与一宗高が屋島で扇の的を射た弓一張と残の矢を奉納したという。
その後、正和2年(1313年)、元亨2年(1322年)、天正13年(1585年)に社殿の再建が行われ、その間、天正2年(1574年)には石楯尾神社が再建されたという。
江戸時代になり、延享年間(1744年-1747年)、盗難により伝承の古記録などを失った。文化6年(1809年)6月には宮ノ前が幟を奉納し、現在の例大祭で社前に幟を立てるようになった契機となった。
明治6年(1873年)12月、村社に列する。明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進神社に指定された。
例祭は8月17日。前日の16日が宵宮祭で、宵宮の祭り囃子が行われ、当日は山車まつりとして、民俗芸能風流山車が参進する。
9台の人形山車が勢揃いするのは県随一で、風流山車は「かながわの民俗芸能50選」に、祭り自体は「かながわのまつり50選」に選定されている。
他にも、鎌倉神楽・湯華神楽神事が行われる。「鵠沼のいっとき祭」と呼ばれるほど、短い時間内に行われる。
樹齢数百年にもなるタブノキ、ケヤキなどが境内奥に残り、鎮守の森を形成している。カラスが多く生息していたことから「烏森」と呼ばれたという。
合祀社として、御嶽神社(国常立命・国狭槌尊・豊斟渟尊)、秋葉神社(火産靈神)がある。
境内社に、式内論社の石楯尾神社 (石楯尾神)、伊勢ノ宮(伊弉諾尊・伊弉冉尊)・稲荷神社(宇迦之御魂神)・石ノ神社(経津主神・武甕槌神)・豊受稲荷神社(宇迦之御魂神)・山王社(大山祇神)・恵比須の宮(八重事代主神・大國主神)・登由介神社(豐宇氣毘賣神) 厳島神社(市杵島姫命)・御霊神社(鎌倉権五郎景政)・水神社(水波能売命)がある。
恵比須の宮は、毎年正月行われる藤沢市観光協会主催の「藤沢七福神めぐりスタンプラリー」のポイントになっている。
兼務神社として、稲荷神社・八坂神社・神明社(城南)、上村稲荷社(鵠沼神明)、賀来神社(鵠沼藤が谷)、大庭神社(稲荷)、稲荷神社・熊野神社・神明社・熊野神社・市杵島神社(大庭)、諏訪神社・八松稲荷神社・八幡神社・白山神社・日枝神社・社宮神・子ノ神社(辻堂元町)、天神社(天神町)、八幡宮(湘南台。別名:円行八幡宮)がある。
なお、式内社「石楯尾神社」の論社は多く、相模原市緑区名倉と相模原市緑区佐野川、相模原市南区に式内社と同名の神社があり、他にも大和市の諏訪神社、相模原市緑区大島と座間市入谷の諏訪明神が式内論社とされる。
【ご利益】
開運招福、五穀豊穣・商売繁盛、家内安全(公式HP)

【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧

コメント