島津氏の代替わりに報告された神社、境内には縄文後期の遺跡も
[住所]鹿児島県鹿児島市池之上町7-30
[電話]099-248-2789
若宮神社(わかみやじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市池之上町にある神社。鹿児島五社の第五位で、近代社格では郷社。若宮八幡宮とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
鎌倉時代初期、島津氏の家祖である島津忠久(?-1227年)が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したものという。
別に、南北朝時代の暦応年間(1338年-1342年)の創祀とも、島津氏が延文元年(1356年)に内城の鎮護神として大隅正八幡宮を勧請したのに創まるともいう。
15代当主島津貴久が、永禄6年(1563年)に鶴岡八幡宮の御分霊を勧請して合祀したともいう。
御祭神は、応神天皇(譽田別尊)・仁徳天皇(大鷦鷯尊)・神功皇后(息長足姫尊)。玉依姫命・天照皇大神・建速須佐之男命・瓊々杵尊・大国主命をも祀るとも。
島津家の守護神として代々の崇敬厚く、家督に関して当社に奉告され、祭祀の際は正式行列参拝があり、造営修繕は藩費で行われた。
また、神社の御神饌用として、神饌田拾5石取りを荒田村に献納し、この地方を神田字と名付け、現在もその地名が残っている。
ちょうど旧今和泉島津家上屋敷の裏手に鎮座し、参拝の便もよいため、天樟院篤姫も訪れていた、かもしれないという。
旧藩時代は社寺奉行所が置かれ管理されていたが、明治に入り、明治6年(1873年)には郷社に列した。明治40年(1907年)6月14日に供進神社に指定された。
平成10年(1998年)に公園整備事業に伴い境内を発掘したところ、縄文時代後期の遺跡が発見された。若宮遺跡と呼ばれている。
例祭は10月9日。7月9日が六月灯。
【ご利益】
学業・受験合格、事業繁栄、商売繁盛、安産

【関連記事】
・鹿児島五社 - 薩摩島津氏が崇敬し続けた諏訪・八坂・稲荷・春日・八幡の五つの神社
・鹿児島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鹿児島県に鎮座している神社の一覧
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若宮神社(わかみやじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市池之上町にある神社。鹿児島五社の第五位で、近代社格では郷社。若宮八幡宮とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
鎌倉時代初期、島津氏の家祖である島津忠久(?-1227年)が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したものという。
別に、南北朝時代の暦応年間(1338年-1342年)の創祀とも、島津氏が延文元年(1356年)に内城の鎮護神として大隅正八幡宮を勧請したのに創まるともいう。
15代当主島津貴久が、永禄6年(1563年)に鶴岡八幡宮の御分霊を勧請して合祀したともいう。
御祭神は、応神天皇(譽田別尊)・仁徳天皇(大鷦鷯尊)・神功皇后(息長足姫尊)。玉依姫命・天照皇大神・建速須佐之男命・瓊々杵尊・大国主命をも祀るとも。
島津家の守護神として代々の崇敬厚く、家督に関して当社に奉告され、祭祀の際は正式行列参拝があり、造営修繕は藩費で行われた。
また、神社の御神饌用として、神饌田拾5石取りを荒田村に献納し、この地方を神田字と名付け、現在もその地名が残っている。
ちょうど旧今和泉島津家上屋敷の裏手に鎮座し、参拝の便もよいため、天樟院篤姫も訪れていた、かもしれないという。
旧藩時代は社寺奉行所が置かれ管理されていたが、明治に入り、明治6年(1873年)には郷社に列した。明治40年(1907年)6月14日に供進神社に指定された。
平成10年(1998年)に公園整備事業に伴い境内を発掘したところ、縄文時代後期の遺跡が発見された。若宮遺跡と呼ばれている。
例祭は10月9日。7月9日が六月灯。
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