飛鳥期創建、阿波との関係と源義経の伝承、鹿子踊やさかさ銀杏、海上渡御
[住所]岩手県宮古市宮町2-5-1
[電話]0193-62-5072

横山八幡宮(よこやまはちまんぐう)は、岩手県宮古市宮町にある神社。近代社格では郷社。「横山秋月」などとして、「宮古八景」の一つの地。参拝すれば、御朱印を頂ける。

盛岡八幡宮とともに、旧盛岡藩領を代表する八幡宮の一つである。御祭神は、品牟陀和気命豊受姫命天照皇大神

飛鳥時代の白鳳9年(680年)の創建とされるが、火災で縁起などを喪失したため詳細は不明だという。

宝暦年間(1751年-1764年)に江戸の学者であった井上蘭台の手により由来や縁起を記した『重修横山八幡宮記』が書かれ、これに準じると下記のようになる。

奈良時代の和銅年間(708年-715年)、猿丸太夫は勅勘を蒙むり、この地に遠流され、宮守となった。下記の和歌を詠み、その邸宅は「猿丸屋敷」と呼ばれた。
奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき
赦され都に帰った太夫を偲び、里人が鹿にたわむれていた往時の太夫の心情に想いを馳せて考案されたのが鹿子踊りだという。小沢「鹿子踊」として例祭に奉納される。

平安時代の寛弘3年(1006年)、阿波の鳴門が、突然鳴動し、怒涛逆巻く天変地異が起こり、朝廷は諸国に触れてこれを鎮めようとした。

当宮の禰宜も祈祷したところ一首の神歌を得たという。阿波の鳴門に赴き、この故事が当地の地名「宮古」につながるという。

また、阿波からの帰途、手にしていた杖を境内に刺したところ、「さかさ銀杏」の大木となり、御神木となったという。

境内には、金刀比羅社が祀られ、阿波四国の船舶が入港すれば、まず最初に参拝する慣わしになったともいう。

正治元年(1199年)、源義経が平泉を逃れ、当宮に参籠し、大般若経百巻を奉納したという。家臣の鈴木三郎重家は老齢のためこの地に残り、「近内」というところに住み、当宮の宮守となったという。

江戸時代には、代々藩主の崇敬を受け、例大祭には代官に代拝させ、当宮の祭儀終了を見届けてから使者を立てて盛岡城下の祭儀を斎行する慣わしだったという。

例祭は9月14日-16日。14日が宵宮祭で、15日当日は神幸祭・海上渡御祭がある。16日は敬老祭で、湯立神事・巫女托宣がある。

海上渡御は、盛岡藩7代藩主南部利視(在位:1725年-1752年)により祭礼の方式や日時が定められた際に始まったものとされる。

【ご利益】
海上・交通・旅行安全、厄災除け、大漁満足、無病息災(公式HP
横山八幡宮 - 飛鳥期創建、阿波との関係と源義経の伝承、鹿子踊やさかさ銀杏、海上渡御
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