坂上田村麻呂が創建、成島毘沙門堂に隣接、幼児の泣き相撲神事
[住所]岩手県花巻市東和町北成島5-1
[電話]0198-42-3921
三熊野神社(みくまのじんじゃ)は、岩手県花巻市東和町にある神社。近代社格では村社。地名を取って、成島三熊野神社とも呼ばれるが、正式には熊野神社である。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、平安時代初期、坂上田村麻呂が対蝦夷戦争(蝦夷征討)に際して、征矢立(せいやたて)の森に登って、紀伊熊野三山に戦勝を祈願したのが始まり。
戦勝後の延暦21年(802年)にこの地に紀伊熊野三山の神を勧請して創祀したという。御祭神は伊弉冉命・事解男命・速玉男命の3柱。
康平5年(1062年)に源義家が、前九年の役で安倍貞任を追撃した際、鏑矢を奉納して戦勝を祈願し、奥羽平定を叶えたともいう。
中世には和賀氏から社領70石を寄進され、江戸時代になると元和4年(1618年)に南部藩藩主南部利直より社領23石が安堵された。
近世には「熊野権現宮」と呼ばれ、境内に隣接する毘沙門堂(成島毘沙門堂)の鎮守とされ、古くからともに熊野山成島寺(じょうとうじ)を別当としていた。
明治初年の神仏分離で成島寺を廃寺とした際に独立し、毘沙門堂とも分離した。
例祭は9月19日。十二番角力式(じゅうにばんすもうしき)が奉納される。いわゆる幼児による泣き相撲の角力(相撲)神事。
鎮座地の南を西流する猿ヶ石川を境に南北に分かれる北南両成島集落のそれぞれから長男で数え年2歳の幼児6名を力士として選び、本殿脇の土俵上で対面させる。
本来は作占(豊凶占い)の神事であるが、現在は幼児の成長を祈る意も込められる。坂上田村麻呂が戦勝の祝宴をこの地で開いた際、両集落の若者に相撲を取らせことが起源とも。市指定無形民俗文化財。
現在は、5月上旬の3日間に毘沙門堂で行われる「毘沙門まつり」においても「全国泣き相撲大会」と称して催されている。参加資格を2歳以下の男女で、全国からの参加者を募る。
本殿は桁行3間梁間2間の切妻造平入の身舎前面に桁行3間の吹放ちの庇が接続し、さらに庇中央に1間幅の向拝を設ける。室町時代の地方的作風がみられる。県指定有形文化財。
毘沙門堂は当社とは別法人ながら、成島毘沙門堂として知られ、坂上田村麻呂または円仁の開基と伝える。
堂そのものは室町時代後期の建立と推定され、方三間、寄棟造、鉄板葺(もと茅葺)の仏堂で、国の重要文化財に指定されている。
平安時代中期の作とされる、像高3.59メートル、足下の地天像を含む総高4.73メートルという県下最大の木造兜跋毘沙門天立像や、平安時代前期の作という木造伝吉祥天立像がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、身体壮健、五穀豊穣
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三熊野神社(みくまのじんじゃ)は、岩手県花巻市東和町にある神社。近代社格では村社。地名を取って、成島三熊野神社とも呼ばれるが、正式には熊野神社である。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、平安時代初期、坂上田村麻呂が対蝦夷戦争(蝦夷征討)に際して、征矢立(せいやたて)の森に登って、紀伊熊野三山に戦勝を祈願したのが始まり。
戦勝後の延暦21年(802年)にこの地に紀伊熊野三山の神を勧請して創祀したという。御祭神は伊弉冉命・事解男命・速玉男命の3柱。
康平5年(1062年)に源義家が、前九年の役で安倍貞任を追撃した際、鏑矢を奉納して戦勝を祈願し、奥羽平定を叶えたともいう。
中世には和賀氏から社領70石を寄進され、江戸時代になると元和4年(1618年)に南部藩藩主南部利直より社領23石が安堵された。
近世には「熊野権現宮」と呼ばれ、境内に隣接する毘沙門堂(成島毘沙門堂)の鎮守とされ、古くからともに熊野山成島寺(じょうとうじ)を別当としていた。
明治初年の神仏分離で成島寺を廃寺とした際に独立し、毘沙門堂とも分離した。
例祭は9月19日。十二番角力式(じゅうにばんすもうしき)が奉納される。いわゆる幼児による泣き相撲の角力(相撲)神事。
鎮座地の南を西流する猿ヶ石川を境に南北に分かれる北南両成島集落のそれぞれから長男で数え年2歳の幼児6名を力士として選び、本殿脇の土俵上で対面させる。
本来は作占(豊凶占い)の神事であるが、現在は幼児の成長を祈る意も込められる。坂上田村麻呂が戦勝の祝宴をこの地で開いた際、両集落の若者に相撲を取らせことが起源とも。市指定無形民俗文化財。
現在は、5月上旬の3日間に毘沙門堂で行われる「毘沙門まつり」においても「全国泣き相撲大会」と称して催されている。参加資格を2歳以下の男女で、全国からの参加者を募る。
本殿は桁行3間梁間2間の切妻造平入の身舎前面に桁行3間の吹放ちの庇が接続し、さらに庇中央に1間幅の向拝を設ける。室町時代の地方的作風がみられる。県指定有形文化財。
毘沙門堂は当社とは別法人ながら、成島毘沙門堂として知られ、坂上田村麻呂または円仁の開基と伝える。
堂そのものは室町時代後期の建立と推定され、方三間、寄棟造、鉄板葺(もと茅葺)の仏堂で、国の重要文化財に指定されている。
平安時代中期の作とされる、像高3.59メートル、足下の地天像を含む総高4.73メートルという県下最大の木造兜跋毘沙門天立像や、平安時代前期の作という木造伝吉祥天立像がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、身体壮健、五穀豊穣
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