坂上田村麻呂が伊勢神宮の外宮を勧請、大宮神楽と樹齢600年のモミ
[住所]岩手県盛岡市本宮字大宮51
[電話]019-635-1229
大宮神社(おおみやじんじゃ)は、岩手県盛岡市本宮にある神社。豊受皇大御神を祀る。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
「大宮」とは、当神社そのものを指し示す言葉であり、字名の由来。大字名の「本宮」は旧村名「本宮」から来ているが、水害による移転にともなう、元来の大宮があった場所である元宮がその語源だという。
平安時代の延暦年間(782年-806年)、滝沢郷の高丸という者が朝命に背いたため、桓武天皇の勅命により坂上田村麻呂が征討に向かい、延暦21年(802年)にこれを平定した。
以後岩手郡中野郷に高見館を築いて本城とし、次子綾田麿をこれに置くとともに、当地鎮護の神として伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の御分霊を勧請した。
当社は、その中の外宮を御分霊を勧請した神社として、「大宮豊受神社」と称したのに始まると伝えられる。
内宮を勧請した神明社は、もともとは仁王郷、現在の岩手山神社に置かれたが、後に現在の盛岡市神明町に移転、現在は盛岡八幡宮境内に祀られている。
また当社は、平安時代に桓武天皇が造立を命じた陸奥国最北の城柵である志波城の鬼門鎮護の神社でもあるという。坂上田村麻呂が招聘した神職である鈴木氏が代々司る。
明治になって現社名に改称し、郷社に列した。なお、一時盛岡市仙北町の高屋稲荷神社が移転されたが、同社は故地に復祀されている。
平民宰相と呼ばれた原敬の生家に近く、原も度々参拝したという。例祭は8月17日で、大宮神楽が奉納される。
鰐口1口が有形文化財に、多賀神楽絵額12面が有形民俗文化財に、大宮神楽が無形民俗文化財に、樅(モミ)が天然記念物に、それぞれ市により指定されている。
当社のモミは、樹高29メートル、推定樹齢600年前後で、南北朝時代の永徳2年(1382年)、後小松天皇即位時の祝典の際に当時の領主自ら植えたと伝えられている。
モミとしては県下最大のものとされている。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、平穏安寧、方除け
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大宮神社(おおみやじんじゃ)は、岩手県盛岡市本宮にある神社。豊受皇大御神を祀る。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
「大宮」とは、当神社そのものを指し示す言葉であり、字名の由来。大字名の「本宮」は旧村名「本宮」から来ているが、水害による移転にともなう、元来の大宮があった場所である元宮がその語源だという。
平安時代の延暦年間(782年-806年)、滝沢郷の高丸という者が朝命に背いたため、桓武天皇の勅命により坂上田村麻呂が征討に向かい、延暦21年(802年)にこれを平定した。
以後岩手郡中野郷に高見館を築いて本城とし、次子綾田麿をこれに置くとともに、当地鎮護の神として伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の御分霊を勧請した。
当社は、その中の外宮を御分霊を勧請した神社として、「大宮豊受神社」と称したのに始まると伝えられる。
内宮を勧請した神明社は、もともとは仁王郷、現在の岩手山神社に置かれたが、後に現在の盛岡市神明町に移転、現在は盛岡八幡宮境内に祀られている。
また当社は、平安時代に桓武天皇が造立を命じた陸奥国最北の城柵である志波城の鬼門鎮護の神社でもあるという。坂上田村麻呂が招聘した神職である鈴木氏が代々司る。
明治になって現社名に改称し、郷社に列した。なお、一時盛岡市仙北町の高屋稲荷神社が移転されたが、同社は故地に復祀されている。
平民宰相と呼ばれた原敬の生家に近く、原も度々参拝したという。例祭は8月17日で、大宮神楽が奉納される。
鰐口1口が有形文化財に、多賀神楽絵額12面が有形民俗文化財に、大宮神楽が無形民俗文化財に、樅(モミ)が天然記念物に、それぞれ市により指定されている。
当社のモミは、樹高29メートル、推定樹齢600年前後で、南北朝時代の永徳2年(1382年)、後小松天皇即位時の祝典の際に当時の領主自ら植えたと伝えられている。
モミとしては県下最大のものとされている。
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