「法量のイチョウ」が有名な集落の小高い丘に鎮座、修験者・法霊ゆかりか?
[住所]青森県十和田市法量字山ノ下25
[電話]-
法量神社(ほうりょうじんじゃ)は、青森県十和田市法量にある神社。御祭神は高龗神。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
鎮座地は小高い丘の上で法量集落を見渡し、眼下には田園ののどかな風景が広がる。
江戸時代中期の宝永5年(1708年)6月に創建された。
明治6年(1873年)に奥瀬村(現 十和田市奥瀬)の新羅神社に合祀されたが、明治8年(1875年)2月に復社した。
明治9年(1876年)12月6日に無格社に列し、昭和11年(1936年)9月10日に村社に昇格した。
昭和24年(1949年)11月30日、国有境内地の譲与許可を受けた。
境内には、住吉大神の祠や二十三夜塔、八幡大神などの碑がある。また、イチョウの古木も多いが、いわゆる「法量のイチョウ」は当社のものではない。
「法量のイチョウ」は十和田市法量字銀杏木にあり、樹高36メートル、幹回り14メートル、推定樹齢1100年、全国第4位ともいわれる巨木で、国の天然記念物。
平安時代、ここに善正寺という寺が開かれた。イチョウはその建立記念に植えられたという。また、十和田湖の主・八郎太郎と闘って、これを倒した南祖坊が手植えしたともいう。十和田神社の伝承にもつながる。
県内ならびに東北地方に点在する法霊・法領・法量などの地名は、八戸に至るまでの間に修験者の法霊が説いてまわった地域とされ、密接な関係があるといわれる。
八戸市には法霊神社とも呼ばれる龗神社(おがみじんじゃ)があり、その御祭神は当社と同様。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、地域・家内安全

【関連記事】
・国の天然記念物がある神社 - 数百年、数千年という単位で存在し続けている自然のパワー
・青森県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、青森県に鎮座している神社の一覧
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法量神社(ほうりょうじんじゃ)は、青森県十和田市法量にある神社。御祭神は高龗神。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
鎮座地は小高い丘の上で法量集落を見渡し、眼下には田園ののどかな風景が広がる。
江戸時代中期の宝永5年(1708年)6月に創建された。
明治6年(1873年)に奥瀬村(現 十和田市奥瀬)の新羅神社に合祀されたが、明治8年(1875年)2月に復社した。
明治9年(1876年)12月6日に無格社に列し、昭和11年(1936年)9月10日に村社に昇格した。
昭和24年(1949年)11月30日、国有境内地の譲与許可を受けた。
境内には、住吉大神の祠や二十三夜塔、八幡大神などの碑がある。また、イチョウの古木も多いが、いわゆる「法量のイチョウ」は当社のものではない。
「法量のイチョウ」は十和田市法量字銀杏木にあり、樹高36メートル、幹回り14メートル、推定樹齢1100年、全国第4位ともいわれる巨木で、国の天然記念物。
平安時代、ここに善正寺という寺が開かれた。イチョウはその建立記念に植えられたという。また、十和田湖の主・八郎太郎と闘って、これを倒した南祖坊が手植えしたともいう。十和田神社の伝承にもつながる。
県内ならびに東北地方に点在する法霊・法領・法量などの地名は、八戸に至るまでの間に修験者の法霊が説いてまわった地域とされ、密接な関係があるといわれる。
八戸市には法霊神社とも呼ばれる龗神社(おがみじんじゃ)があり、その御祭神は当社と同様。
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