源頼義が創建、義経が毘沙門天像を安置、八戸藩根城の北方鎮護と仁王門
[住所]青森県八戸市小田1-2-1
[電話]0178-28-3007

小田八幡宮(こだはちまんぐう)は、青森県八戸市小田にある神社。近代社格では村社。正式名称は八幡宮のみ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代の天喜年間(1053年-1058年)、鎮守府将軍に任命された源頼義が陸奥国を治めるために八幡神(応神天皇)を勧請して鎮守としたのが始まり。

その後、源義経が平泉から逃れて当地に寓居した際、毘沙門天の像を納め、その像の背中に3寸6分(およそ12センチ)の八幡神の木像を填めて安置した。

その際、当宮の前に、義経が自ら小さな田を開いたことから、この地を小田(こだ)と呼ぶようになったと伝えられる。義経伝説が息づく。現在、境内には義経堂がある。

それ以降当宮は小田毘沙門堂と称され、江戸時代の天和2年(1682年)からは天台宗寺院の小田山徳城寺(こださんとくじょうじ)と称した。

毘沙門天が北域を守護する天部であるため、八戸藩根城の北方を鎮護する役割があったとされる。

明治の神仏分離令により毘沙門天像の胎内に納められていた八幡神像を取り出して祀り、毘沙門天像は別棟に安置、社名を八幡宮に改称して明治6年(1873年)4月15日に村社に列した。

その毘沙門天像が市の指定文化財になっている。制作年代不明。享保3年(1718年)に八戸在住の僧、津要玄梁(しんようげんりょう)が補修したとの墨書が台板に残る。

また、弘化2年(1845年)から嘉永7年(1854年)まで9年をかけて建造された三間一戸入母屋造の八脚門である仁王門がある。「小田仁王門」と呼ばれるこの門は、八脚門としては市内に遺る唯一のもの。

欄間2間は、根城南部家の祈祷寺であった東善寺の欄間の一部を、同家が遠野に移った後に徳城寺の別当である河村家が譲り受けたものと伝える。

宝暦3年(1753年)に、八戸藩始め盛岡、松前、秋田の周辺諸藩から寄せられた800余句の俳諧から千風庵百々が72句を選評して奉納した額である千風庵百々評俳諧献額もある。

【ご利益】
厄災除け、武運長久・勝運、地域・家内安全
小田八幡宮 - 源頼義が創建、義経が毘沙門天像を安置、八戸藩根城の北方鎮護と仁王門
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小田八幡宮の御朱印