東遷前の神武天皇の最初の妃を祀る乙姫社、漁師や漁業関係者からの崇敬
[住所]宮崎県日南市材木町9-10
[電話]0987-22-2863

吾平津神社(あひらつじんじゃ)は、宮崎県日南市材木町にある神社。近代社格では郷社。ひむか神話街道100の伝承地の74番。御朱印の有無は不明。

奈良時代、元明天皇の和銅2年(709年)の創建。主祭神は吾平津毘売命。初代神武天皇が当地滞在中、狭野神社ともゆかりのある狭野命と呼ばれていた際の最初の妃。

神武天皇が東遷に乗り出すと、姫は当地に残り、この油津の地より東遷成功と道中の安全を祈ったという。『古事記』には二人の子として、多藝志美々命・岐須美々命の名が見える。

乙姫大明神と称して、江戸時代には飫肥十一社の一つとして歴代藩主の崇敬が篤かった。現在も乙姫神社とも呼ばれる。

明治維新に際し、伊東裕帰知事の意により、現社号に改称され、明治5年(1872年)には平野村の春日神社、八幡神社、稲荷神社、妻万神社を合祀した。

そのため、一時期は平野神社と改称したが、その後八幡神社が再遷座したために、もとの現社号に戻った。

現在は、吾平津毘売命の他、天照皇大神武甕槌命倉稲魂命天児屋根命木花咲耶姫命経津主命も併せて祀る。

明治32年(1899年)、宮崎神宮の神武天皇御降誕祭に際し、社殿・神苑の拡充を図り、明治40年(1907年)2月には神饌幣帛料供進神社に指定された。

大正15年(1926年)には氏子河野宗四郎氏が単独で社殿を改築、昭和8年(1933年)に郷社に列し、昭和9年(1934年)には神武天皇御東遷二千六百年祭にあたり、聖蹟として顕彰された。

現在の社殿は昭和48年(1973年)、神殿・幣殿・拝殿など一切、氏子崇敬者の熱意と浄財で改築されたもの。

漁師や漁業関係者からの崇敬が今なお篤い。

【ご利益】
交通安全・航海安全・商売繁昌・諸祈願成就
吾平津神社 - 東遷前の神武天皇の最初の妃を祀る乙姫社、漁師や漁業関係者からの崇敬
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