金刀比羅・稲荷・厳島を勧請、明治期に一社に合祀、半世紀ぶりの海上渡御
[住所]北海道浦河郡浦河町大通2-29
[電話]01462-2-2175
浦河神社(うらかわじんじゃ)は、北海道浦河郡浦河町にある神社。御祭神は、保食神・大物主命・市杵嶋姫命。浦河の総鎮守で、近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
寛文9年(1669年)、東蝦夷地の争乱が鎮圧され、この年に松前藩の将佐藤権左衛門が配下を遣わし、讃岐の金刀比羅宮の御分霊を戴き、東蝦夷地鎮護の神として小祠を建立した。
享和元年(1801年)8月15日、さらに当地に場所請負人佐野嘉右衛門が海上安全や豊漁などを祈念して、山城国伏見の稲荷大明神の御分霊を戴き小祠を建立。
また、ロシアの台頭で蝦夷地が騒然としていた文化4年(1805年)、東蝦夷地に駐屯の南部藩が家臣一戸政尹を遣わし、安芸国の厳島神社より御分霊を戴き小祠を建立した。
天保13年(1843年)、この三祠を浦河の漁場支配人近江屋周助が現社務所山側に石屋根の社殿を造営し、一社に合祀し、稲荷神社と称した。
明治8年(1875年)、郷社に列し、明治25年(1892年)に屋根の葺替えを行ったが、社殿の老朽化が進み、明治45年(1912年)6月7日、改修した。
明治44年(1911年)5月21日には神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和6年(1931年)5月12日には現社号に改称した。
例祭は9月15日。最近はそれに近い土・日曜日に行われている。土曜日が宵夜祭(前夜祭)、日曜日が本祭。
宵夜祭では境内に露店が並び、二つの山車がカラオケなどで町を練り歩く。そのほか浦河大通り地区では子供みこしも出る。
本祭では朝10時から神輿渡御が行われる。渡御は10台ほどのトラックに神輿や神具を乗せ、総代や氏子たちとともに町内を巡る。
平成22年(2010年)には、「海上渡御」が約半世紀ぶりに復活した。
【ご利益】
海上安全、大漁満足・五穀豊穣、交通安全(公式HP)

【関連記事】
・北海道の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、北海道に鎮座している神社の一覧
[電話]01462-2-2175
浦河神社(うらかわじんじゃ)は、北海道浦河郡浦河町にある神社。御祭神は、保食神・大物主命・市杵嶋姫命。浦河の総鎮守で、近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
寛文9年(1669年)、東蝦夷地の争乱が鎮圧され、この年に松前藩の将佐藤権左衛門が配下を遣わし、讃岐の金刀比羅宮の御分霊を戴き、東蝦夷地鎮護の神として小祠を建立した。
享和元年(1801年)8月15日、さらに当地に場所請負人佐野嘉右衛門が海上安全や豊漁などを祈念して、山城国伏見の稲荷大明神の御分霊を戴き小祠を建立。
また、ロシアの台頭で蝦夷地が騒然としていた文化4年(1805年)、東蝦夷地に駐屯の南部藩が家臣一戸政尹を遣わし、安芸国の厳島神社より御分霊を戴き小祠を建立した。
天保13年(1843年)、この三祠を浦河の漁場支配人近江屋周助が現社務所山側に石屋根の社殿を造営し、一社に合祀し、稲荷神社と称した。
明治8年(1875年)、郷社に列し、明治25年(1892年)に屋根の葺替えを行ったが、社殿の老朽化が進み、明治45年(1912年)6月7日、改修した。
明治44年(1911年)5月21日には神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和6年(1931年)5月12日には現社号に改称した。
例祭は9月15日。最近はそれに近い土・日曜日に行われている。土曜日が宵夜祭(前夜祭)、日曜日が本祭。
宵夜祭では境内に露店が並び、二つの山車がカラオケなどで町を練り歩く。そのほか浦河大通り地区では子供みこしも出る。
本祭では朝10時から神輿渡御が行われる。渡御は10台ほどのトラックに神輿や神具を乗せ、総代や氏子たちとともに町内を巡る。
平成22年(2010年)には、「海上渡御」が約半世紀ぶりに復活した。
【ご利益】
海上安全、大漁満足・五穀豊穣、交通安全(公式HP)

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