足利義満が「浦島」と詠んだ、香川荘内半島に残る浦島太郎伝説
[住所]香川県三豊市詫間町大浜
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浦島神社(うらしまじんじゃ、浦嶋神社)は、香川県三豊市詫間町にある神社。瀬戸内海に突き出たような形の荘内半島の西側にある丸山島に鎮座する。御朱印の有無は不明。

荘内半島にある大浜・積・生里・箱・香田・粟島・志々島を総称して、浦島と呼ばれており、浦島太郎伝説ゆかりの地である。当社の御祭神も浦島太郎だと思われる。

室町幕府3代将軍足利義満が嘉慶3年・康応元年(1389年、元中6年)、安芸の厳島神社に参拝する際、瀬戸内航行の要所である生里の三崎神社を参拝。その際に詠んだ歌。
へだてゆく 八重の汐路の浦島や 箱の三崎の名こそしるけれ
現在、当地は浦島伝説の地として有名だが、それが定着したのは実は戦後、昭和23年(1948年)以降のことといわれている。しかし、「浦島」の名称は、遅くとも室町時代には存在したことになる。

「箱」は浦島太郎が玉手箱を開けた所とされ、この里に太郎親子の墓がある。「糸之越」は浦島太郎が釣りをしていた場所で、浦島太郎が休んだ越掛石がある。

「紫雲出山」は、浦島太郎が玉手箱を開けた時に、立ち昇った白煙が紫の雲となりこの山にかかったといわれ、山頂付近に浦島太郎を祀る竜王社がある。

現在は荘内半島と、半島であり、陸続きではあるが、古来からの「浦島」の名の通り、昔は荘内半島が島だったと考えられており、その際の祭祀の中心地が紫雲出山だったともいう。

「上天」と呼ばれる地が紫雲出山の中腹にあり、浦島太郎がここから昇天したといわれている。「積」は浦島太郎が乙姫から送られた宝物を積んで到着した所だという。

「金輪のはな」は、浦島太郎と握手を交わした時、乙姫の腕輪(金の輪)が落ちた所とされる。

「室浜」は、竜宮から帰った浦島太郎が2、3年釣りをし、その間若さを失わなかったので不老の浜と呼び、「ぶろま」と転じたという。

「仁老浜」は、浦島太郎の母の生家があったとされる場所。仁義深き老人の浜として老翁となった浦島太郎が余生を送ったという。

浦島太郎がいじめられていた亀を助けたといわれている鴨の越(鴨之越・鴨ノ越)。その沖に浮かぶ丸山島は、干潮になると島まで地続きになり、当社の参道が現れ、歩いて渡ることができる。

進んでいくと、正面には浦島太郎が亀にまたがっている像が見えてくる。当社そのものの由緒は不詳だが、鳥居の建立は明治16年(1883年)であるため、新しくはない。

近くには竜王宮がある。毎回の干潮時に完全に水が引くわけではなく、水が残り、丸山島に渡りづらくなる時があるという。

日本最古の浦島伝説は、『日本書紀』に記されたもので、京都府与謝郡伊根町の浦嶋神社の由緒となっている。

日本各地に伝わる浦島伝説ではあるが、荘内半島から瀬戸内海を渡った広島県には、尾道市美ノ郷町三成にも同名神社があり、浦島伝説が残る。

【ご利益】
健康長寿、開運招福、身体壮健
浦島神社(三豊市) - 足利義満が「浦島」と詠んだ、香川荘内半島に残る浦島太郎伝説
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