平安初期に浦島太郎を浦島大明神として奉斎、5月5日に浦島祭り
[住所]広島県尾道市美ノ郷町三成2736
[電話]-
浦島神社(うらしまじんじゃ、浦嶋神社)は、広島県尾道市美ノ郷町三成にある神社。現在は海からかなり離れた地にあり、山の中ともいえる地ではあるが、浦島太郎伝説ゆかり。御朱印の有無は不明。
三成の浦島太郎、あるいは水成の浦島太郎として、嶋子による松・サメ・龍宮の伝承が残る。付近には他にも昔は海の近くだったと思われる地名が残る。
当社は昔、備後浦島の領主の子の成延というものが、亀を助けて龍宮に招かれ、弁財天像を持ち帰ったという。平安時代初期の天長2年(825年)のことだという。
この年代は、日本最古の浦島伝説とされ、『日本書紀』などにも記載のある京都府与謝郡伊根町の浦嶋神社の伝承とも合致する。丹後が備後になったか。
『日本書紀』には、浦嶋神社を筒川大明神と名付けて奉斎したとあるが、当社では浦島大明神として祀ったという。
その後、承和3年(836年)に高僧大智識利元阿闍梨によって、海面山浦島寺が建立され、弁財天像とともに観世音菩薩を御本尊として祀ったという。
南北朝時代に足利直義の兵により焼失、その後、時代も下った江戸時代の宝暦10年(1759年)になって小祠が再建された。現在地には昭和49年(1974年)に遷座・移築。
5月5日のこどもの日に、三成地域を四つに分けた子供会を中心に子供神輿が出て、各地区を練り歩いた後、当社に集結する。地元では浦島祭りと呼ばれる。
神輿の前を当人さんと呼ばれる各地区で選ばれた小学1年生の男の子が稚児姿で歩く。当社では各地区から一人ずつ選ばれた小学6年の女の子が巫女となり巫女舞を奉納する。
以前は旧暦8月15日に行われていたが、昭和40年代、おそらく当社が現在地に遷座した頃からか、こどもの日に行われるようになったという。
なお、浦島伝説は日本各地に残るが、当社と同名か類似の社名の神社は、先の京都府与謝郡伊根町の浦嶋神社の他、香川県三豊市詫間町などにもある。
【ご利益】
身体壮健、健康長寿、学業・受験合格
【関連記事】
・広島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、広島県に鎮座している神社の一覧
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浦島神社(うらしまじんじゃ、浦嶋神社)は、広島県尾道市美ノ郷町三成にある神社。現在は海からかなり離れた地にあり、山の中ともいえる地ではあるが、浦島太郎伝説ゆかり。御朱印の有無は不明。
三成の浦島太郎、あるいは水成の浦島太郎として、嶋子による松・サメ・龍宮の伝承が残る。付近には他にも昔は海の近くだったと思われる地名が残る。
当社は昔、備後浦島の領主の子の成延というものが、亀を助けて龍宮に招かれ、弁財天像を持ち帰ったという。平安時代初期の天長2年(825年)のことだという。
この年代は、日本最古の浦島伝説とされ、『日本書紀』などにも記載のある京都府与謝郡伊根町の浦嶋神社の伝承とも合致する。丹後が備後になったか。
『日本書紀』には、浦嶋神社を筒川大明神と名付けて奉斎したとあるが、当社では浦島大明神として祀ったという。
その後、承和3年(836年)に高僧大智識利元阿闍梨によって、海面山浦島寺が建立され、弁財天像とともに観世音菩薩を御本尊として祀ったという。
南北朝時代に足利直義の兵により焼失、その後、時代も下った江戸時代の宝暦10年(1759年)になって小祠が再建された。現在地には昭和49年(1974年)に遷座・移築。
5月5日のこどもの日に、三成地域を四つに分けた子供会を中心に子供神輿が出て、各地区を練り歩いた後、当社に集結する。地元では浦島祭りと呼ばれる。
神輿の前を当人さんと呼ばれる各地区で選ばれた小学1年生の男の子が稚児姿で歩く。当社では各地区から一人ずつ選ばれた小学6年の女の子が巫女となり巫女舞を奉納する。
以前は旧暦8月15日に行われていたが、昭和40年代、おそらく当社が現在地に遷座した頃からか、こどもの日に行われるようになったという。
なお、浦島伝説は日本各地に残るが、当社と同名か類似の社名の神社は、先の京都府与謝郡伊根町の浦嶋神社の他、香川県三豊市詫間町などにもある。
【ご利益】
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