木曽川流域・日本ラインに残る桃太郎伝説、インパクトありすぎる像の数々
[住所]愛知県犬山市栗栖大平853
[電話]0568-61-1586
桃太郎神社(ももたろうじんじゃ)は、愛知県犬山市栗栖(くりす)にある神社。国定公園木曽川の中でも最も景色のよい日本ラインの中心地にあり、神社周辺は桃太郎公園として整備されている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『古事記』にある、伊邪那美命の黄泉の国における伊邪那岐命に対する追撃戦で、伊邪那岐命の敗走を助けたのが意富加牟豆美命という桃(『古事記』該当部分)。
伊邪那岐命はこの時「もし、私のように困っている人がいたら、今のように助けてやってほしい」と命じ、当社ではこれがおとぎ話の桃太郎の起源だとする。
主祭神は意富加牟豆美命の別表記である大神実命。桃太郎そのもの、というよりは、その祖神という理解が良いか。
当地一帯には桃太郎伝説が色濃く残る。そもそも犬山市の「犬」は桃太郎のお供をした犬から来ているという。犬山市には猿洞、雉ケ棚という地名も今に伝わる。
お爺さんとお婆さんが住んでいたのが当社地近辺の粟栖だとされる。話の通り、桃太郎は川から流れてきた大きな桃で、当社にはその桃が残されていたという。
近隣の可児市には、乳母の懐、土田村があり、ここで桃太郎は可児川の中の鬼ヶ島に住む鬼が悪さをしていることを聞き、鬼退治を決意したという。
きびだんごをこしらえて桃太郎を鬼退治へ送り出したお爺さん・お婆さんが、桃太郎の無事を祈って籠ったという断食の洞窟が今も裏山に残っている。
イヌ、サル、キジがお供になり、鬼ヶ島に向かうために船に乗り込んだ桃太郎。その地が今は古渡しと呼ばれている。
最初に鬼と遭遇したのが現在の坂祝町だったという。桃太郎が鬼と取っ組み合いをした地が取組で、太郎が勝どきをあげた地が勝山。坂祝は、桃太郎が凱旋して祝杯を挙げた地でもある。
改めて川を渡ったが、今度は鬼の方で桃太郎一行を見つけ、「川を今渡って攻め込んできたぞ」と叫んで仲間に知らせたので、その地が今渡りとなった。
地域一帯を悪鬼から救った桃太郎は当然のことながら地元民に感謝されたが、天寿を全うした後、近くの山へ登ってそれっきり姿を見せなくなったという。
しかし、そこに信仰が生まれ、桃太郎が入った山は桃山(ももやま)と呼ばれ、崇敬されたという。これが当社の創祀だという。
以来、子供が桃太郎のようにたくましく育つという御神徳が知れ渡り、子育て、子供の守り神として、近郷はもちろん、遠方からも参拝者が多くなったという。
昭和に入ると、当地の桃太郎伝承が発掘され、広く知られるようになる。ただし、当初地は山の中だったために参拝の便が悪かった。
そこに昭和5年(1930年)、桃山から一羽のキジが飛び立ち1キロほど南の山へ降り立ったという。それが現在地であり、そうして遷座した。
現在の境内には、おばあさんの洗濯岩、悪運を食べるサルの像、桃から生まれたばかりの桃太郎の立像、桃くぐり、すべり台、桃形鳥居、鬼の目にも涙というコンクリート像、四つんばいになったやさしい鬼など、インパクトありすぎる像や建立物があることで知られている。
かつては、山側に古びた宝物館があったが、何者かによって放火され、鬼の頭蓋骨や桃太郎が生まれたと伝えられる桃などが焼失した。
宝物館は現在別の場所に再建され、鬼の金棒、鬼の珍宝などが展示されている。毎年5月5日には桃太郎まつりがある。祭りで披露される「桃太郎おどり」は、野口雨情が作詞したという桃太郎音頭。
【ご利益】
身体壮健、健康長寿、子育て

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・愛知県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛知県に鎮座している神社の一覧
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桃太郎神社(ももたろうじんじゃ)は、愛知県犬山市栗栖(くりす)にある神社。国定公園木曽川の中でも最も景色のよい日本ラインの中心地にあり、神社周辺は桃太郎公園として整備されている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『古事記』にある、伊邪那美命の黄泉の国における伊邪那岐命に対する追撃戦で、伊邪那岐命の敗走を助けたのが意富加牟豆美命という桃(『古事記』該当部分)。
伊邪那岐命はこの時「もし、私のように困っている人がいたら、今のように助けてやってほしい」と命じ、当社ではこれがおとぎ話の桃太郎の起源だとする。
主祭神は意富加牟豆美命の別表記である大神実命。桃太郎そのもの、というよりは、その祖神という理解が良いか。
当地一帯には桃太郎伝説が色濃く残る。そもそも犬山市の「犬」は桃太郎のお供をした犬から来ているという。犬山市には猿洞、雉ケ棚という地名も今に伝わる。
お爺さんとお婆さんが住んでいたのが当社地近辺の粟栖だとされる。話の通り、桃太郎は川から流れてきた大きな桃で、当社にはその桃が残されていたという。
近隣の可児市には、乳母の懐、土田村があり、ここで桃太郎は可児川の中の鬼ヶ島に住む鬼が悪さをしていることを聞き、鬼退治を決意したという。
きびだんごをこしらえて桃太郎を鬼退治へ送り出したお爺さん・お婆さんが、桃太郎の無事を祈って籠ったという断食の洞窟が今も裏山に残っている。
イヌ、サル、キジがお供になり、鬼ヶ島に向かうために船に乗り込んだ桃太郎。その地が今は古渡しと呼ばれている。
最初に鬼と遭遇したのが現在の坂祝町だったという。桃太郎が鬼と取っ組み合いをした地が取組で、太郎が勝どきをあげた地が勝山。坂祝は、桃太郎が凱旋して祝杯を挙げた地でもある。
改めて川を渡ったが、今度は鬼の方で桃太郎一行を見つけ、「川を今渡って攻め込んできたぞ」と叫んで仲間に知らせたので、その地が今渡りとなった。
地域一帯を悪鬼から救った桃太郎は当然のことながら地元民に感謝されたが、天寿を全うした後、近くの山へ登ってそれっきり姿を見せなくなったという。
しかし、そこに信仰が生まれ、桃太郎が入った山は桃山(ももやま)と呼ばれ、崇敬されたという。これが当社の創祀だという。
以来、子供が桃太郎のようにたくましく育つという御神徳が知れ渡り、子育て、子供の守り神として、近郷はもちろん、遠方からも参拝者が多くなったという。
昭和に入ると、当地の桃太郎伝承が発掘され、広く知られるようになる。ただし、当初地は山の中だったために参拝の便が悪かった。
そこに昭和5年(1930年)、桃山から一羽のキジが飛び立ち1キロほど南の山へ降り立ったという。それが現在地であり、そうして遷座した。
現在の境内には、おばあさんの洗濯岩、悪運を食べるサルの像、桃から生まれたばかりの桃太郎の立像、桃くぐり、すべり台、桃形鳥居、鬼の目にも涙というコンクリート像、四つんばいになったやさしい鬼など、インパクトありすぎる像や建立物があることで知られている。
かつては、山側に古びた宝物館があったが、何者かによって放火され、鬼の頭蓋骨や桃太郎が生まれたと伝えられる桃などが焼失した。
宝物館は現在別の場所に再建され、鬼の金棒、鬼の珍宝などが展示されている。毎年5月5日には桃太郎まつりがある。祭りで披露される「桃太郎おどり」は、野口雨情が作詞したという桃太郎音頭。
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